視聴率における浮動層

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視聴率における浮動層

4月はテレビ番組も新旧交代をする時期だ。新番組のNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」は、私にとってはあまり面白くもなく感じるが、視聴率はそれほど悪くないようだ。前の「カーネーション」は大変面白かった。
NHKの大河ドラマも同様だ。「平清盛」は、数回見たが、今は見るのをやめている。昨年の「江」は単純なストーリーなので内容はさておき、俳優や衣装が魅力的だったので最後まで見た。視聴率の比較を見ると明らかに下がっているようだが、全体での数字で見ると数パーセント程度のの差でしかない。

その時間帯に見ることのできない人は、面白いよと聞いたとしても、ビデオをセットしてまで見ない人も多いだろう。また、いつも見る人、例えば大河ドラマの固定ファインは、たとえつまらなかったとしても見続けるのだと思う。選択重視の考え方と言われるかもしれないが、浮動層の私は面白ければ見るし、つまらなければ見ない。支持政党も似たようなものなのだろうか。雰囲気に左右される浮動層とが選択する浮動層とは質的には異なると思うが。

新芽を観察する楽しさ

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新芽を観察する楽しさ

写真は我家のパンジーポールで、冬から春にかけて彩りを添えている。一方、丸裸であったプルーンバーゴやミッキーマウスの木から、このところ新芽が出てきたので大変嬉しい。アイビーなども新緑の黄緑色の若葉も、美しくなってきた。その他にも、冬越ししたペチュニアの移植の見守りもある。これらが、この所の日々の楽しみであり、本業の論文執筆がなかなか進まない。
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借景のヤマザクラ

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借景のヤマザクラ

写真をアップするほどまで美しいわけではないのだが、我家の2階の出窓からの日常風景である。6月頃の景色と12月初旬、そして数日前の写真だ。電線が目ざわりだけれど、好意的に見れば、窓からの景色は額縁の絵のようにも見える借景である。
  今は散ってしまったが、この時期には山桜花(?)が咲く。ただし、咲くのは一日だけ。翌日には花が散りはじめる。秋の紅葉時はきれいだ。秋は特に落ち葉が多くて困る。その上、高層マンション並みに冬の日ではご近所さん一帯に貴重な陽ざしを遮る。とても寒くなるため、周辺住民にとってはおおごとである。何人かの署名をもらい市への木の剪定などの要望書も出しているものの、無管理状態が続いている。

景色と陽射しの両方を追求はしたいが、なかなかそうさせてくれない。情緒と基本的機能の両立ができないとしたら、私は基本的機能を選びたい。このケースでは、借景よりも実利的な陽射しを優先させたいということだ。しかし、責任感もやる気も欠如しているように見える市役所担当者を相手に、戦うのは労多くして報われずである。不満ではあるが、勝算の少ない戦で消耗することなく、より手応えのある別の分野にエネルギーを注ぎたい。
 

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飛行機は使えない遠距離出張

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飛行機は使えない遠距離出張

研究費と関連して、出張に関しても同様なことがある。関西方面に行くときは、飛行機の方が電車より安いことがある。しかし飛行機は認められないと言われる。私は、費用算出のためにGoogleの乗り換え案内を利用する。すると経済的なルートなど出る。例えば東京大阪間だ。大阪と一言でいっても広いから、空港に近いところなどでは、飛行機利用のほうが安くつくことも少なくない。以前に、そのベースで申請したら却下された。飛行機はダメだ、新幹線にせよという。これも、古い時代のなごりだと思う。確かに、私にも飛行機は高いものとのイメージがあった。しかし、客観的にgoogleでのようなデータが示されれば別である。金銭的にも時間的にもメリットは大きいので、合理的な判断に従うと、それは採用されるべきではないか。しかし、そのような理屈をいっても、だめだという。もちろん、飛行機は禁止とは明示的に書かれているわけではない。単なる習慣なのだろう。判断基準としては、飛行機の通常料金のところで評価して決定しているのだろう。季節のディスカウントチケットなどは考慮外なのかも知れない。

結局、もういいや、領収書を添付するわけではないので、自己責任で差額はあるとしても飛行機でいくという場合もある。例えば、四国あたりにいくとなると、飛行機を使わないと宿泊費もかかる場合もあり、明らかに損である。類することは、仕事の現場だけでなくても、帰省などのときにも発生する。飛行機の方が早いしやすいし有利なのに、身内ではそれを利用せず、新幹線で行く人もいる。但し、決して無条件ではない。計画的に行動しなくてはならない。突然ふらっといったら、やはり定価料金が請求される。計画性のある私のような人には、大変に有利な話だが、苦手な人にとってはメリットを享受できないというだけのことである。

教育には使えない研究費

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教育には使えない研究費

私の勤務先での「研究費」は研究のために使える費用だが、教育関係はダメである。なぜダメなのかと問うと「研究」費だからだという。教育のための教材や授業の関係の機器などはダメなようである。では、それらはどこから出すべきか。授業関係ならば教務課の管轄だということになる。今年度は予算がないから来年度に申請をということになる。それとて、高額のものはダメだ。こちらは来週の授業に使いたいと急いでいる。個人研究費で何とか賄いたいというがダメだということになる。授業のための費用は出してもらいたいが、より良い教育のための費用を自腹を切ることになる。経費を抑えたいということならば、「研究」こそ道楽なのだから、そこにメスを入れるほうが筋ではないかというのが私の意見である。研究に関しては、自費で出しても、そんなに無茶苦茶ではないと思う。ちなみに、前の勤務先では研究費は教育のために使うべきもので、個人の能力向上などのためのものは認められないと言われていた。折衷案として、研究費は「教育と研究」のための費用とすべきと思う。私はさしあたって困っていないのだが、おかしいと思うことの一つである。

かけこみ請求

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かけこみ請求

研究費は年度末に全ての支払いが終了しなくてはならない。私の勤務先では5日締めで15日支払いだ。年度をまたいでの支払いは不可である。そのため、3月6日以降3月末までの購入に関しては自費となる。それを避けるべく、できるだけ支払いは4月まで延ばす。このような操作をすることは、どこでもあることだろう(かけこみ請求ではあるものの、不正をしているわけではないので、念のため)。

今期から、通勤費の支払いも、長期休暇期間を通して6ヶ月分の定期乗車券を購入しているのか、検閲した上でということになった。過払いを防止するためだそうだ。毎回実費で切符を買って・・というのは証拠書類としては認められないようだ。この手の、管理がきつくなってきているようで、多少憂鬱ではある。いずれ、研究費にも手をつけられることだろう。

引継ぎ前後

自治会長の銀行口座の名義も書き換え、最終版の広報の発注も済み、私の自治会長としての役目を昨日に完全に終えた。新年度というと、新たな仕事と気持ちに焦点が当たることも多いが、同時に前任者にとっては終焉の季節でもある。緊張感が解けて、何かほっとしたような、一方少し寂しい気もする。 このところ訪ねてくる人や郵便物が激減したのは、それをもの語る。正確にはもとに戻ったというべきなのだが。

ひきついでくれる人がいるというのはありがたいことだ。この手のことはいつもそうだが、後任の人は違いをつくりだそそうとしたり、あるいは引継のための情報が時ととして不十分で、前任者を(心の中で)批判することも多いだろう。私も後任の方から批判されていることだろう。それはそれとして、新体制でどう変わっていくのかを見守っていこう。私は空いた時間ができたこともあり、テニスを再開し、自然散策のための山歩きサークルも探しているところだ。

半年後の公共の庭

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半年後の公共の庭

昨年の10月15日に公共の庭の件をこのブログに記した。ほぼ半年たった昨日の朝に、その近辺に行く機会があったので、立ち寄って写真をとってきた。

10/2/2011 「英国風ミニガーデン作り」講習会の手を入れた直後
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下の写真は、その約半年後4/8/2012 
(日陰で見にくいのと、この時期なので色味は少し寂しいが、最低限の形は今でも成している)
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同僚性

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同僚性

同僚の昇進を祝うとか、歓迎する、送迎するといった「同僚性」はなくなりつつあるのだろう。それは、新自由主義のもたらした結果であるとか主張する人がいる。彼らに言わせると、何でも悪者は新自由主義的な思想だという。私はそれだけに特定するのは行き過ぎと思う。それは、世の中がそれを支持したことと私は理解している。本当に心があれば、別途にどこかで実施されていることだろう。歓送迎会のような会をやるとなった場合の、参加への同調圧力こそファシズム的で問題であると思う。

最後の関係は、家族だけだろうと思う。しかし、世の中では、そこも分断されがちな傾向にある。これもまた、新自由主義のせいであると主張されるかもしれない。ともかく、家族にも見捨てられると、寂しいが。

選択し合って自ら集った仲間同士の間なら、同僚性は維持でき得ると思う。心が必ずしも伴っていない形式的な役割だけの関係ならば、なくても良いと思う。来年になる私の還暦会は、結果として再選択できる場であれば最高だと思う。

歓送迎会

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歓送迎会

この3月に定年で辞めた人(他大学定年後から本学勤務3年)と、上位校の大学に移動した人がいた。後者はまだ比較的若い方だ。表面的な儀礼だけの送迎会ならばなくても良いとは思う。私が幹事をというほど親しくはなかったから、その申し出はしなかったが、誰か送別会を企画しないのかなぁと思っていた。その人が、3月末の教授会終了時に、「皆様大変お世話になりました」と自ら挨拶をしていたが、慰労も何もなくただそれだけで終わったようだ。

送別会だけでもない。(決して初々しくはないが)2人の新人を迎えた。歓迎会もなさそうだ。ずいぶん、ぎすぎすした職場の人間関係ではないか。管理職も何も思わないのか、また他の誰も管理職から指示されないと自らしようとしないのだろうか。本当にそれで良いのかなと、私も昔風文化も多少は残っている人間なので思わないでもない。

私のこの勤務先に来た時は、私一人だけだったのだが歓迎会をしてもらった。だから、嬉しかったし、その後も幹事も何度かしたことがある。私の退職のときは、これが最後の職場になる可能性は濃厚なので、できれば送別会をして欲しいなと思う。

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