過度のクラウド依存はダメである

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過度のクラウド依存はダメである

前回記したことと多少関連する話を続けたい。内容については省略するがクラウドコンピューティング全盛の時代といわれる。この分野に関して、以前より思っていた私の主張がある。
ネットは高速に、より信頼性が高く、より手に入れやすい価格になってきている。しかし、ネットにはそう簡単につながるとは限らない。ネットの中継地点を含めた先のプロバイダーにおけるトラブルの問題もある。私の家の受け側のモデムの機械の問題もある(我が家はCATVである)。私のパソコンのトラブルの可能性もある。無線ランの問題かもしれない。それらの機器がすべて正常に稼働して、やっとネットワークがつながる。かつては、構成部品が比較的少なかったから、問題判別はメーカーに問い合わせればやってくれた。今は、自分でしなくてはならない。それは素人にはややきつい。身近に聞く人がいないと、ギブアップせざるをえないかもしれない(お年寄りはそうかもしれない)。さらに加えて、ネットは接続する相手も同じ状況にある世界である。メールが届いたかどうか、いつ読んだか、相手の状況はわからない、「つながる」ということは極めて複雑なプロセスを通って実現するものであり、決してあたりまえなものではないのだ。そのような複雑な世界をつなげてくれている今日のインターネット社会に感謝したい。
そのような中で、私のミスオペを含めて、私の側の理由にてトラブルになる確率は結構高い。したがって、最小限ことを進めるためには、構成要素を少なくしてパソコン単独で動くことが好ましいのではないかと思っている。クラウドコンピューティングでは、仕掛状態にあるメールの下書きからドキュメントなどすべておくと、ネットにつながらないと、事態は深刻で思考停止になることがある。
かつての単独で動くスタンドアロンパソコンというのは、それだけで完結していたのである。順序としては、まず「自立」するパソコン環境が、次に「共生」であろう。共生に相当するネットワークにより、個人の力はさらに増すのである。梅田望夫氏が「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)で主張していたと思うのだが、順序として「共生」から「自立」に進もうとすると、他者に激しく付和雷同しがちになり、うまく飛び立つことことはできないのではと思っている。

ツィッターすると・・・

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ツィッターすると・・・

Clipped from: http://blogs.itmedia.co.jp/saito/2011/04/mixi-twitter-fa-0f8b.html
Neilsen/NetRatings NetViewによると、ツィッターの訪問者は1700万を超えるそうである。
別のことだが、ミニブログの運営サイトである米ツィッター・・と新聞に書いてあった。ミニブログといえば、140文字なのでミニブログというとすっきり理解できる。その一方、(初心者なので生意気な口は聞けないものの)人との緩いつながりのネットワークのツールというほうがフィットするのではないかとも思う。
 
私もこうして勝手なことでも書いていると、フォローしている人が数名あらわれる。それらは、何か自分と共通点を見出している人だ。それは、私にとっては好都合だ。なぜなら、私のほうで相手を探さなくていいからだ(笑)。これは、ツィッターを試みてみないとわからない奇妙な体験である。国内から、海外から、なぜアクセスするのだろうと思う。

もし、書いても書いても、誰もフォローする人がいないとなれば寂しい。文の中身の乏しさ、文章力のなさを、暴露しているようなもので、書くのをやめたくなるだろう。情報発信して傷つくのはいやだが、無視されるのもいやなものだ。となると、何も書かずに黙っているのが最も安全ということになる。ツィッターをしない多数派はこれだと思う(私自身もそうだった)。

でも私の書いた駄文もグーグルの検索にヒットするようになったので、今後は微妙な内容は書けなくなりました(笑)。

エバーノート・ライフ

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エバーノート・ライフ

クラウドブックとうたっている私の使用しているアンドロイド(T社AZ/05M)は、エバーノートがあらかじめ入っているのだが、いただけない。ネットを切ったとして、それまでのメモリーをキャッシュしてくれないのである、これは、ネットにつながっていない環境下では大変使い勝手が悪い。私の場合は、電車の中といった移動中に使用する場合も多いし、自宅でもネットを使用していないときは、節電のために無線LANの主電源を落としているからだ。そのような状態にあるとすると、このエバーノートは使いものにならない。もうひとつの理由は、反応が遅すぎることだ。さらに、クライアント版のバージョンが古いせいなのか、同期に関しても、動作がおかしい。もう、使う気がしないので、今は職場も自宅も普通のパソコンのWindows版でのエバーノートから書いている。

WindowsやMacのクライアント版だと、オフラインでもエバーノートが使えて、結構レスポンスも良い。ノート感覚で入力ができ、オフラインでも使えるので、十分に知的生産の道具として使える。「ちょっと記す」にはほぼ満足のいくレベルにあるし、今後のバージョンアップにも期待できそうである。
仕掛かりの文章は、オフィスソフトなどを利用して頻繁に修正し、保存することも多いだろう。その時は、エバーノートよりDropboxを使用するほうが適するようだ。ひとたび完成したら、エバーノートに保存するという「ストック」的な使い方なのだろうか。まだわからないのは、電子メールとの棲み分けである。私は重要なメールは、メールソフトのフォルダーに分類して管理している。これらのメールも日常の「フロー」の情報が蓄積されるライフログである。このメールフォルダーとエバーノートでは、目指す方向が若干異なるのかもしれないが、シームレスに動くなるようになるともっと魅力が増すのではと思う。

典型的な一日(ライフログ その2)

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典型的な一日(ライフログ その2)

平日のライフログが書きかけであったのでパート2である。中間時間帯の仕事のことは別途として省略する。仕事が終わって7時頃に自宅に帰る。このごろは冷蔵庫に作り置きの副菜が数品ある。それを温めて、一人で食べる。洗濯物が干してあれば、それをたたむ。食事は、朝が6時、昼が12時前、夕食が6-7時の、ほぼ六時間間隔のリズムである。夕食後にNHKで30-40分ニュースを見ながら、必要に応じてメールをチェックし、Web検索する。風呂に入ろうとするころに、妻が帰ってくる。リラックスタイムである。9時から30分は、一緒にNHKの「今日の料理」を見てから就寝である。私は早寝早起きであるが、9時半なので夜になかなか寝付けないこともしばしばある。そんな時は、一気に起きてしまう。昔は、不眠だと翌日に差し支えるとか大騒ぎしたものだが、このごろは寝られなくたって翌日にたいして支障がないことがわかり、二日くらい徹夜しても平気である。

典型的な休日のライフログ

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典型的な休日のライフログ

休日でも、朝起きる時刻は5時で同じである。8時25分からの「趣味の園芸」をみた後の9時前に、毎週恒例の一週間分の買い物に大手スーパーまで朝一番でいく。この時間帯だと、行きも帰りも渋滞になることは少ない。昼前には帰ってきて、昼と夜は夫婦2人で食事をする。リラックスタイムはネットである。このところ、このエバーノートとブログに夢中になっている。あとは、家の部屋の掃除をしたり、土のリフレッシュ作業である。庭を洗練された美しく気持ちよい庭にしたい欲求が強い。花があると心が和む。近々写真でもとってアップしようと思う。私はテレビ番組にはあまり関心がない。録画してまで見たいというわけではないが、NHK大河ドラマ「江」を多少見る程度だ。妻は、なんといってもそのあとの「JIN」である。

エバーノートの活用分野

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エバーノートの活用分野

エバーノートは新たなアプリケーション分野として魅力である。
いろいろと活用事例などは紹介したものはあるのだが、多くの人の支持するまさにこの使い方だ!というほどに至っているものは、まだないような気がする。
アプリケーションは適用分野なので、使う目的と場を考えると良い。
私たちは家庭などの日常生活で、パソコンのアプリケーションとして何を使うか.
ワープロを使い文章を書く人は多くはないだろう。ビジネスでないとしたら、せいぜいチラシ程度の文章を渋々と書く程度だろう。
表計算ソフトなども、一般人は家計簿としてまで使わないだろう。
プレゼンテーションソフトを使って、他者に説明する人はそんなに多いだろうか。
にもかかわらず、多くの人はパソコンにオフィスを入れている。
メールはある意味で、他者と交流のある人のための相手に向けた文章である。
その他者が、不特定多数に向かうかどうか。
Webは外部の情報収集のためであろう。インターネットの二つの利用形態は今では必須であろう。
デジカメでとつた写真を整理するとか年賀状を印刷するなどはあるかもしれない。しかし、別のソフトウェアで用が足りる。エバーノートは、情報を生産し、非定型的な整理をしたい人に向くのであろう。家庭に限った利用では、需要は少ないとは思うがライフイベントの整理が適するのだろう。

ビジネスの世界でも、Webで見るだけ、人の文章も読むだけで、書くことをしない人は圧倒的多数であろう。書くことを必要とする総数は決して多くないと思う。しかし、同様に、ビジネスイベントを整理することは意味がありそうなので、活動日誌を書けという号令が出れば、企業での活用普及も考えられないこともない。
ともかく、需要が多かろうが少なかろうが、必要としている人には(当たり前だが)意味がある。商業ベースにのらない程度の売れ行きかもしれないけれど。

使い出だしてみると可愛いもので、私もこのエバーノート専用機がもし二万円以内で手に入る小型軽量で使い勝手の良いものなら魅力と思うようになった。ネットブックなら要件を満たしそうで、追加で買いたいとすら思うようになってきた。ケイタイでも良いのだけれど、やはり私は知的生産活動は広い画面で見たいし、入力は落ち着いてキーボードでしたい。古い世代のせいかもしれないが、小さな画面でのちまちまと、縮み志向になって、ろくな発想ができないような気がするからだ。

私もだんだんとエバーノート教に染まってきてしまっているようだ(笑)

エバーノート再考

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エバーノート再考

最初は、何だこの得体のしれないものと思っていた。一部の物書きは絶賛していて、エバーノートの信者みたいのも少なくない。そのような特殊な仕事人には便利な道具なのかもしれないね、でも一般人には関係ないねと思っていた。
  
しかし、使っていくうちに、物書きではない私のような一般人でも、エバーノートはだんだんと可愛くなってくる。ドラックアンドドロップができないなど若干の不満はあるものの、結構使える。自動保存というのもなかなか良い。でも、まだよくわかっている段階には達していないので、断言することは避けることにする。ともかく、わからないものから突然に好きになるこのギャップは、「商品企画」をするうえでは追求するに値する。無意識でジャンプしていったこの間の内省のプロセスを言語化するのである。私は、今はそのような仕事に従事していないので、それは誰かがやるだろうということで。

物書きのような知的生産活動のような仕事としない人でも、私たちは生きている。生きていれば、日々思ったり感じたりすることはあるはずだ。中には何も感じない鈍感な人も一部にいるのは事実である。いずれにせよ。それをデジタルの世界に記すかどうかという話なのだろう。積極的に残しておきたいという意欲を持った人ならば、(ネットに出すかどうかは別として)エバーノートに価値を見いだせるのではないか。

中途半端な作業中のちょっとしたアイデアをつぎつぎと、ぶちこむと、あとで整理をすればよいのだ。今日の私たちの思考は、Webの影響かハイパーテキストで、断片的で短絡的に思考はがあちこちにとんでいく。それらを忘れないうちに、どんどん入れていくということだ。そのためには、いつも持っている道具であれば都合がよい。となると、ケイタイが好ましいということになるわけだ。となると、エバーノートが好きな人は結論的に、それの動作するiPhoneとかアンドロイドケイタイを持つということになるのか。私も、次回のケイタイ機種変更では、それを基準に考えたいと思う。

ブログに記すにあたって

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ブログに書く座標軸の決定

この「場」に何を書くか、書きながら考えている。

仕事のことは別のところで書いたので、それは省略する。特定されると、どんなことがあるかわからないから控えたい。家族生活のことはデリケートだし、私の意図とは別に不利益は絶対に与えたくないので、これも避けたい。ITまわりのことも、いろいろあるのだが、超パワーユーザーというほどではないので、できることは限られている。

それ以外の私の日常、すなわちライフログを日記として記したい。
基本的には自分のためであるが、他者で私のライフスタイルに共感して連絡してもらえれば嬉しい。しかし、それはなくてもよいし、それほど期待もしていない。基本的には、自分自身との会話であるから。といっても、将来誰かに見てもらいたい人のいることは事実である。それを正直に告白するならば、わが子たちにである。私は父母をすでに数年前に亡くしているが、今どう思うかなぁと聞いてみたいこともある。その年代になった時に、たぶん私はいない。そういう気持ちに永遠にならないかもしれない。
私の生きた証しが、私にとって、このライフログなのである。親のことに関心を持ってくれない子どもたちに、親の生きざまを伝えたい、本当に聞いてほしい人は聞いてくれていない代償として、ここに記すのであるから、やはり自己満足でしかないだろう。それはそうだと認めざるをえない。

書くネタはいっぱいあることを発見

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書くネタはいっぱいあることを発見

前に書いたことと連続性がなく、あちこち飛んでしまうのは私としては気にはなるのだが、座標軸が定まるまでご容赦願いたい。
今回は、書こうとさえ思えば、いろいろとネタはあるものであるというメッセージである。新聞を読んでいるだけで、これは自分とは意見が違うなと思うところや、この記事はなるほどと、いろいろと思うことは少なくない。今日の日本経済新聞の記事を例にとろう。一般記事でも、裁判員候補を被災地をに関して半年間免除することに弁護士会が法的根拠がないと言っているようだ。これに関しても意見がある。日経プラスワンは、生活の記事が多くて大変興味深い。たとえば「ビジネスメール好感度をあげるには」でのメールの書き方の問題である。これは、人々の仕事のやり方そのものを物語る。バカだなぁ、こんなことやっていたら、メールの意味ないではないかなどと、私も多くの意見もある。

そのようなことを記し続けていくだけでライフログになるのだろう。何もしないし、誰ともディスカッションしないと、その情報は通り過ごしてしまい、忘却の彼方にいってしまう。
毎日日記のように書いてみよう。すると一年で365のログがたまる。これはすごいことだ。後世に残るアーカイブになる。誰も見てくれないかもしれないし(笑)、自己満足の世界ではある。とはいえ、自分自身の感受性や、表現能力がが高まるかも。

ただ、どこに記すかが問題である。
フェイスブックは出身校などを重視する人と人のディープな関係性を仕事の世界に結び付けるネットワークの世界のように思える。ライフログ的なものは、マイナーなブログが適しているのだろうか。ツィッターは読者が多くて魅力だが、140文字制限はつらいな。サマリーのみしばらく流してみようかと思う

ライフログを記す試み

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ライフログを記す

おそらくほかの人にとってあまり価値はないかもしれないが、自分の生活・行動記録をライフログとして記すと良いのではないかという文を見て、私もここにて試みることにした。
私の2011年の典型的なライフスタイルを示す一日を記す。
長くなるので、とりあえずパート1の朝のひと時である。

朝5時前に起床する。決して早起きをしようとしているわけではないのだが、夏に限らず寒い時は、もっと早く目が覚めしてしまうのだ。玄関ポストの日本経済新聞をとりにいき、エアロバイクをこぎながら新聞を読む。この間約20分。その後真向法をして柔軟体操である。この二つが日々心がけている運動であろうが、10年近く毎日継続している。その後、六時くらいに朝食である。ベーコンエッグがハムチーズトースト、牛乳、ヨーグルト、グレープフルーツがほぼ毎日である。その後、お昼のお弁当をつくる。通常は、冷凍食品のチャーハンの類のご飯ものである。これだと、あまりおかずを気にしないでよい。極端に言うならばなくてもよい。しかし、連日であるので防腐剤や塩分の集積で、若干気にならないこともない。あとは、ゆで野菜のブロッコリーときんぴらの、冷凍たこやき二個などである。あとは、豆大福や草大福が定番である。いちごなどの果物があると持参することもある。いずれにせよ、20-30分で朝食後にお昼の用意を終え、使った食器を洗い、キッチンをきれいにした後、ごみ出しの整理である。通勤用に服装を整え、ごみを出して七時前に家を出発する。家人を起こさないようにそって外に出る。時間調整は、家の庭の花がらつみをする。7:10分の電車にのって、すわっている間、今日の授業の準備をする。研究論文の類の推敲をすることも多い(昔からずっと、通勤じはこのようにしていた)。こうして、一時間余りで勤務先に到着する。決して一番乗りではないが、早起き鳥のグループに所属しているのは明らかである。

(続く)

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