R: もし若返ることができたら パート2

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もし若返ることができたら パート2

昨日の続きのパート2である。私がもし女で生まれていたと基本属性が異なった場合でも、やはり大学までいって家政学部で勉強したい。生活の基本の衣食住を体系だって勉強できるからだ。住居学科なんて良いなと思う。しかし、やはり男女共学が良い。住む人にとって心地よいインテリアの提案し、お客様に満足していただける提案をするキャリアウウマンでありたい。仕事でも活躍するが、家事もほぼ完璧にこなす女性でありたい。そして、私のような理解ある男性(笑)と結婚する。

自分の好きなことと仕事を重ね合わせた人生でありたいということが現れているのだろう。このようなことが、私の理想とする女性像であろう。それを妻や娘に無意識に求めているものと思う。しかし、現実は・・である(笑)。

いずれにせよ、不可能なことを夢想するのは意味のないことだ。しかし、ありえなかった人生シミュレーションをゲームとしてするのは楽しいものだ。アップル社のジョブズが、スカリーに「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか?」と口説いた話は有名である。私はITの分野を仕事とできた。しかし、「コマコマとした小さな機械を売って暮らすのか? それとも人の幸せをロケットのように舞い上がらせるような夢を売って暮らすのですか?」と問いたい。
私はITと関連したビジネスを、その後に教師として暮らせたことは大変幸運だった。その道筋自体は全く後悔していないものの、少しだけシミュレーションをしたい夢である。おそらく孫に託すことまではできないと思う。

R: もし若返ることができたら・・

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R: もし若返ることができたら・・

私が今の気持ちのまま18才に若返って勉強しなおす機会があるとしたら、大学で「建築」を勉強したい。建築の思想などを、時空を超えたスケールで深く学び直したいのだ。その後は、どこかのハウスメーカーに入り、営業をする。初めは全く売れないのだが、あるときに買っていただくためのコツがわかるようになる。お客さんのモヤモヤとしている漠然とした希望を物語として紡ぎ、解決策としての設計図面を提案して契約をもらうのである。そのような自分なりの建築へに対するフレームワークの固まったところで、独立して建築事務所を作るのだ。自著も作成し、忙しい傍ら大学の客員教授として、熱心な学生に集中講義をするために教壇に立つのだ(安藤忠雄氏のような感じかな?と思う)。家は夢がある。その人の人生を託す一生で最も高い買い物である。私の関与した大切な人たちの夢を一手に引き受け、互いに「家に住む幸せ」を分かち合う、これはとてもわくわくする仕事だ。

2番目の息子がハウスメーカーに行き、この夢とは多少の接点があった。しかし、数年前にIT業界に転職してしまって、その後のシミュレーションはできなくなってしまった。私自身が、そのための再出発をするには年を取り過ぎている。一番下の娘も、建築系に進みインテリアデザイナーとして生活提案をするようになったら嬉しいなと思っていたが、これも他分野に行くことになり果たせなかった。そのための会話を十分にする機会もなかった。
子どもを持ち、あるいは孫に自分の果たせなかった夢を彼らに託すということは、親世代ではありうることだ。私も少しだけだが、子どもたちの成長とともに、そのようなシミュレーションを味わえたことに感謝しなくてはならない。一方、当然のことながら、その私の意志とは全く別に子どもたちは育っていく。それはやむをえないことだ。

H ホームタスクでブログに記すことと記さないこと

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H ホームタスクでブログに記すことと記さないこと

自己の活動範囲(格調高く言うとドメイン)を明確にすることは重要だと思う。だから、書かないことと書くことを区別したいのである。ホームタスクの中のひとつとして、地域の貢献のために自治会の役員の仕事をしている。ここで思うことはあるのだが、現在進行中なのでやめておく。任期が終了したら別だが、さしさわりがあるかも知れない故である。財布の中身がどのくらい入っているかに関しても、ライフログとして大変重要な項目で書いてはある。しかし、こういうところでは公開したくはない(笑)。
すると、残りは衣食住と趣味的生活の分野だ。そのうち、衣食生活と趣味的生活に関しては、ほぼ出し尽くしつつある。さらに、それを支える資金管理についても触れた。そのうち話題が尽きれば写真でもまたアップすることにしよう。私は、それらよりも、家で快適に暮らすエコでロハスな「住」生活が関心事である。節約しながらも心豊かな生活を送るためには、こうしたら良いのではないだろうかという提案や記したいことは沢山ある。

H 不当な請求が人生には時としてある・・

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H 不当な請求が人生には時としてある・・

自分で金銭管理していたとしても、想定外の出費が発生することもある。その一例は、意図しない請求が来ることである。こちらの100%のミスならば、あきらめるものの、相手のミスのこともある。予防、あるいは損をしないためにも、(性悪説なのだが)相手にミスがないか、不当に請求されていないか確認していかないといけない場合がある。今回もそれであった。

「Documents to Go」 というMSオフィスとのファイル互換のあるアンドロイド用のオフィスソフトを購入したのである。国内なら、何とかフリーアドレスを探して、こちらの正当性を訴え、クレームするのであるが、厄介なことに海外だ。
(不当な請求とまで言うのは言い過ぎだけれど)アンドロイドの操作に慣れていないので、よくわからない中で購入の処理をしたからだ。混乱したのは、アンドロイドではESCキーで前のWeb画面に戻るものの、まだその処理は後方で処理中なのか(たとえばダウンロードしているのか、取り消されたのたか)どうかよくわからないのである。

そんなこともあり、クリックを総回数で三回押してしまったようである。これは請求がされるかもと予感がし、私のミス操作だったので、理由を述べて請求は一ライセンス分だけにしてくれとメールを書き送付した。返事はなかったが、これにて一件落着のはずだった。しかし、一月後に届いたクレジットカードの引き落とし額は、三回分請求されている。英語だし、やだなぁと思いながら、このままにしてしまおうかという気にもなる。ここで、おそらくめげてしまう人も多いと思うが、私はガッツがある。

この手の証拠書類としてのメールを保存しておかないと、言った言わないの話になる。ましてや、メールのトラブルの可能性もあるのだ。だからこそ、こちらでも、メールを保存しておくことは重要である。それがあったので、それを証拠書類として転送した、わかった払い戻しをするとのメールの返信が来た。安心していたら、翌月は一ライセンス分のみの払い戻しだった。また冷汗である。もう一度と、メールで払い戻しの請求をした。先方も、わけのわからない日本人がブロークン英語で主張する、しつこい客だと多分思っているだろう。まだ、全額は振り込まれていないので、まだ波乱は続くかも・・(^_^;)。

本来すべき処理以外に、このような正しく運営されていれば問題ないのだが、後処理をさせられる場合がある。苦情の処理はだいたい「後ろ向き」ななものも多い。きちんと相互で管理されていれば、本来は必要のない仕事である。忙しくて処理のための時間が取れないときは、泣き寝入りすることもあるだろう。海外旅行の時で、出発時刻が間際だとか時間が限られているとそうせざるえない。そのためには、相応の余裕時間や余裕資金を確保しておかねばならない。最終的には、時間とそれにかける労力のトレードオフになるだろうが。

H 生活を支えるお金の管理

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H 生活を支えるお金の管理

家庭での日常で重要なことの一つに、金銭管理がある。
衣食住を支える、さらにプラスαまで処置するための基盤となる。いくらきれいごとを言っても、最低限の生活していくためには、当然ながらお金がなければ、それはできない。世の中には、それすら危うい人も少なくないようで心配である。私の年代になってくると、職業生活をいつまで続けられるか、また将来の年金はどうなるかの見通しをつけることが重要になってくる。市民としての納税などの責務を果たしながら、その見通しをつけるのがホームの中のサブタスクのひとつである「基盤としての資金管理」である。さらに下のレベルのサブサブタスク項目の私の場合を述べると、毎年の確定申告、 年金・資産移転計画の確認、金融資産管理と年末評価の3つから構成される。

良く言われることだが預金通帳をあの世に持っていくわけにはいかない。それならばきちんと管理して、投資すべきところは投資して、子孫に美田を残さず、有意義に使いきりたいものだ。

昨日も80通以上来るようになった。でも・・・

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昨日も80通以上来るようになった。でも・・・

昨日もフォローが80通以上来るようになった。とあるところからの特別なターゲットになったのだろうか少し気になる。仕事で使っていたメールが使い物にならなくなってきた。ツィッターではフォロー100通を目指せと書いてあったが、とうとうその域に到達してしまった。これが100通を超えるころの質的な変化なのだろうか。それとも、別の変化がこれからあるのだろうか。いずれにせよ、私はネットワークを広げたいとは全く思っていない。この場で、自分の得になるようなことをしようとも思わない。

自己宣伝のサイトや購入のためのサイトもある。当初は、あまり積極的にではなく気乗りはしなかったのだが、何らかの興味を持ってもらったのなら、それもご縁かなと思って、相互フォローをしたのだが。少し考え直さなくてはならないのかもしれない気がしてきた。商売のために使うのは、それはそれで結構。しかし私的には、日常を一生懸命に生きている人が好きであり、そのような人とだけネットワークをはりたい。情報は取捨選択をしたい。お手軽な軽いノリのお話を見ず知らずの人としたいとは全く思わない。気分が良くないのは、怪しげな出会い系サイトと思われるところからのフォローも増加してきたのだ。フォロワーが少なかった時に、怪しいとは思ったが一件くらいならと思ってフォロー返しをしたら、次々と来るようになった。ミクシーを使っていたころも、時々メールでお友達になりましょう!という、この手のバカなメールやあしあとが来たものだ。だから、この頃はミクシーじたいには全くアクセスしていない。
昨日のブログじたいのアクセスビューの数は、わずか7である。ブログの中身を見ないで、タイトルだけでただフォローしまくっているのだろうか。私には良く理解できないが、彼らの頭の構造や意識を知りたいとも思わない。私はマイペースで続けるだけだ。とはいえ、正直、大切なものを汚されているような気分もして、少し嫌な気分になっているのだ。良心的なフォロワーのほうが圧倒的に多いはずなのに・・である。ツィッターにブログを流すことは、しばらくやめることにする。ブログじたいは毎日書きますので、直接こちらにおいでください。

毎日の日課の変化が起こる

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毎日の日課の変化が起こる

今までは記事を書いてもツィッターの新規フォロワーが1人くらいであったが、昨日は21人も来たので驚いた。ちょっと、良い気分(*^-^*)である。ところでブログを書くようになって、私の生活の時間帯も多少変わってきている。

このごろは日が長いせいで朝の四時くらいに明るくなるので、そのころに起き出す。薄明るくなった庭で一時間くらい、花の手入れをする。とはいっても、ほとんどは漫然と眺めるだけだが・・。五時くらいには完全に明るくなるので、新聞を読みながらエアロバイク漕ぎを20分。その後真向法を5分、このあたりは変わらない。その後に、朝までに入ってきたメールの確認をする。さらに、このブログのアップロードのための原稿の最終見直しをし、若干の修正を加える30分がつけ加わったのである、ブログ記事は前日の夜に、記事の前後関係を考えながら明日はこれをアップしようとほぼ決めて、仕込んでおく。ブログをアップロードすると、一仕事終わったようで、達成感を感じることができる。6時以降は朝食で7時前に出勤は以前と変わらない。以前に、そのころにいびきをかいて妻は寝ていると書いたのが気に障ったのか、このごろは起床が多少早くなった。ブログの効果か?(笑)。

H 私のこだわり

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H 私のこだわり

プラスαと全く同じではないが、関連している「こだわり」について。
ホームタスクで書いていて、私はこと生活に関しては、あまりこだわるところがないことがわかった。ただし、資源の無駄遣いに関してのこだわりはある。無駄遣いはしたくないので、それが見つかると少しイライラする。資源というと、難しく聞こえるが、具体的には、お金であり、購入したモノであり、時間である。私は自分の与えられたその資源を大切にしたいと思っているためだ。またまた難しそうにいうとそうなるのだが、わかりやすくいうならば「けち」なのである(笑)。

ほかの人がその人の持つ資源を大切にしないことは、その人の人生だから、とやかく言うつもりはない。ただし、身内のような距離が近い関係だとつい一言、余計なことまで言いたくなってしまう。すると煙たい奴だということに至るのだ。

私のこだわりはホームタスク以外にはある。ひとつは「学ぶ」ことに関してであった(前の分類のEタスクである)。専門分野を学ぶこと、学ぶ場に関してはこだわりがあったなあと思う。仕事の内容に関しても同様だったかもしれない。
結果的に、これらに恵まれた私は幸運だった。思い起こせば、15年近く前に亡くなった父親も、自分は上司に恵まれて、定年まで勤められて幸運だったというようなことをいっていた。仕事に恵まれず、家庭での趣味にだけ生きがいを見出している人は少なからずいる。それは、それでも悪くはないと思うが、「仕事などは面白いはずはない」と語りながら人生の幕を閉じるとすれば、それは残念なことである。仕事の中にも何らかの愉しみを見いだせないだろうか。それは、次の世代の未来と密接につながっているような気が私はするのだ。

H 趣味的生活としての旅行

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H 趣味的生活としての旅行

ホームタスクでいうプラスαは、ひらたくいうならば趣味に相当する。私の場合は、非日常を味わいながら、日常の幸せを再確認するための「旅行」がそれであろうか。趣味を批判されるのは嫌なものである。考えてみればファッションの好きな人は、このプラスαが、それなのだろう。以前のブログにて、本業を疎かにしてまでの趣味はないだろうと私は批判をした。それが、その相手の人生なので、それで良いではないかということではある。しかし、基本前提の最低限の生活が満たされているという豊かな時代のなせる業だからでもある。貢献はなく、ただのフリーライダーである。若い人たちには、その豊かな暮らしは、どうして成り立っているのか、どうしたら壊れてしまうものなのかを考えてほしいなと思っている(また、説教じみてきてしまった(笑))。

生活の見通しがある程度たったのならば、(人によって異なるとは思うが)好きなものを食べ、楽しく快適に暮らそうと思うのではないか。すると、何か所かはこだわりでの標準以上の品があっても良いかなという気になってくる。私の場合で、はためからは贅沢をといわれるかもしれないひとつは、決して贅沢旅行はしていない年に一度くらい行く海外旅行だろう。通常は、要求事項を満たす最安値のツアーに参加している程度だが、あまりくどくどとは今は述べない。
もうひとつは、家の外回りを洗練された気持ちの良い空間にすることだ。自分たちが満足する空間、それは通りすがりの他の人たちも、通ることが心地よいとさらに良い。街の景観も良くなる。
この旅行と外回りのリフレッシュが私の当面の心豊かになるための「おしゃれ健康生活」としてのプラスαなのである。

H メリハリとしてのプラスα

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H メリハリとしてのプラスα

人によって一転豪華にしたいところは異なるだろう。それがファッションの人もいるだろう。
私の場合でも、次回に述べるようにないわけではない。しかし、所詮これらは贅沢なものだ。なくても、生きていくうえで困りはしない。ただ、すべてが節約生活だと寂しいねということでのプラスαでしかないと思う。

私は、親から基本機能まで含めて、すべての判断基準が「安いこと」で、上述したような冗長性を持つことは許されなく育った。私の親の年代では、そう考える人は少数派ではなかったのだろう。今でも余裕のない人は世の中では多いのかもしれないが、私は多少余裕がある。私の生活は多分、親世代よりはるかに豊かである。最低限の衣食住の生活はできているし、今後も何とかサバイバルしていける自信はある。あとは、プラスアルファの人生のスパイスであり、それらを積み重ねると、結構楽しく暮らせるはずである。

私自身、長い間、気づかずに親から受け継いでいた「節約マインド」のプログラムから脱しきれないでいた。しかし、このごろは、親のしていた「節約を目的とした節約」は超えることができるようになった。それは、安くても品質の悪いものならいらない、ほしいものを意識しておいて、機が熟して登場したときに一気に購入するメリハリのある「プラスαぷのための節約」なのである。

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