魁皇への悪魔の囁き

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魁皇への悪魔の囁き

魁皇が引退した。いろいろ故障続きで、いつ引退するかと何度もいわれていたが、よくここまで頑張ったものだと感心した。しかし、少し残念ではある。記者会見では「気持ちがあっても、身体が動かなかった」といっていた。少し違和感を感じた。これまでも、そのようなことは何度も類似したことはあったではないかと。魁皇に限らないのだが、今までも弱い大関同士の傷の舐めあい的な相撲で、八百長ではないかと思わせるプレイもしばしばあった。大関カドバンや勝ち越しが微妙なときに、相手が手加減するように思えるのだ。結果としては、必ず千秋楽ぎりきりで、ほとんどの大関が八勝七敗で勝ち越すのだ。だから結果として、誰も大関から陥落しない。自分より技量の上の力士はたいしていないのにである。昇進直前のときだけ頑張る。その後は、八勝七敗程度で終わるのだ。下にばかり金星献上でプロとして恥ずかしくないのかと思っていた。毎度毎度のことで胸糞悪いので、相撲は見ない(が気にはなる)。
主題はそれではなかった。悪魔の囁きの話だった。「もうここまでやったのだから、もうやめても良いだろう」というのが悪魔の囁きである。「いや、決して諦めない」というなでしこジャパン的な前向きの囁きも聞こえてくる。ご本人は、どうしようか迷うわけだ。決断の主体は、いろいろ悩んだ末に最終決定をする。今までの魁皇は、負けても負けても土俵に上がる諦めないモードでいたのではないか。それがファンに好感をもたれて、応援されてきたのではなかったか。

だから拍子抜けだった。力が入らない、それは事実だろう。しかし、それでも今までは頑張って来たのだ。今回だけ特別だろうか。勝ち星が前人未踏の記録を超えて、「もういい加減にいいだろう。ここまでやったのだから、もうよそうぜ」という悪魔の声が優勢になってきて、とうとうその誘惑に負けてしまったのだろう。その魁皇を責めるつもりはない。誰しもゴールが近づくとそうなるものだろう。現役で居続ける緊張モードから抜けて早く楽になりたいのだ、全員がみなイロチーのように、未踏の記録を更新しつづける力を備えているわけではない。

Posterousブログ

私はPosterousのこのブログに結構満足している。メールを一通出すのと同じような感覚で、ブログは更新されるから お手軽なのである。今では、暇ができたときに、ひとまとまりのノートにする(今回は、エバー ノートから「共有メールで送信」ではなく、通常のテキストファイルでメールソフトでの下書きから送信を試みた。トップページにいつもの Evernoteがなくなっていると思う)。 この種のメモの習慣は有益だと思う。手軽にノートを分 割できるので、ワンノートにワンメッセージを徹底する訓練にもなる。文節に 相当する「セル」である。それが一定のまとまりを持ては「章」となる。その章がまたいくつかまとまれば、一冊の「本」となる。そうな れば、それは「私の履歴書」となる。その原稿をしたためる最も基本となる稼働時間の多いアプリケーションソフトウェアがエバーノー トなのである。カテゴリー分類はできないものか。エバーノートではできるので、このタグが自動的にリンクされるようになると良いなと思う。

非国民?

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非国民?

なでしこジャパンが優勝したことは大変喜ばしいことだ。そのように世の中の人たちが、サッカーのワールドカップなどで夢中になっているいるときに、私はあまり関心がないから別のことをしている。変人だと言われるだろうが、オリンピックシーズンでも、日本がいくつメダルをとろうが、誰が取ろうが、あまり関心がない。多くの日本人が熱狂的になっているときに、私はいつも冷めている。非国民かもしれない(笑)。

そのような時に、私は若干居心地が悪い。マイノリティをバッシングするこの手の集団同調圧力に、昔から息苦しい思いをしてきた。今では、独自の世界に入り込んでいるので、それほどではないのだが、早くこのフィーバーが落ち着いて、日常に戻らないかなと正直思っている。非国民といえども、揺るがない日本的な情緒豊かな生活は好きになってきてはいるのだけれどね・・(苦笑)。

私は最新情報は要らない

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私は最新情報は要らない

ツィッターでホットニュースをはじめとした最新情報流す人は少なくない。勤め人なら人事関連の噂話、一般人では野球や政治の実況などである。今日なら、なでしこジャパンの深夜の決勝戦状況であろうか。それがツィッターの良いところなのかもしれない。それらの情報を流す人は、おそらく他者より早く知りたいタイプの人であろう。

私に関して言えば、身内の緊急情報以外のその種の情報は不要である。断片的な話で翻弄されるのがいやなのである。1年早く予見しているのならまだしも、たかが人より少し早いだけで、多くの労力をかけるとしたら空しくないのかなと思う。多分、好きでやっているのだろうが・・。

いずれにせよ、私は翌日の新聞で良いので、しっかりと事実確認された大局的な情報をじっくりと読みたい。
(こんなことを言うと、その種の人からMiketoyは協調性がないと批判される。)

28度設定のエアコン

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28度設定のエアコン

節電であちこちでエアコンの設定温度は28度になってきている。大変良い傾向だと思う。
先日、眼科医でエアコンがきついなと思い、設定されている温度を聞いたら、26度だという。このところ世の中が電車にしろスーパーにしろ28度になっていて、それで体が慣れてくる。すると、その少しの違いがわかってくるのだ。そこで、意見をして28度に設定し直してもらった。
ある鉄道会社は、節電目標の見通しがたったので、お客の要望もあり、28度から26度にしたと数日前の新聞記事で出ていた。馬鹿な会社だなと思った。社員も思考停止していて何も言わないとしたら、それも問題だ。九州電力でものやらせメール指示も耳に新しい。客の要望というのは、一部の社員や客の要望、それに伴うイメージでしかないのではないかと思う。それが全体の意見と判断しては、世の行方を見誤ることになる。ぜひデータを示してほしいと思う。確かにそういう客もいることは事実である(だいたい太った人?であると思う。これまたイメージだ(笑))。

私は28度で十分に涼しいと思う。エアコンをしないことは確かに危険ではある。歳をとってくると、感度が鈍くなるというので、熱中症への注意は必要だが、慣れの問題も少なくないと思う。皆が徐々に28度の温度に慣れてきて、電力状況が厳しくなれば29度にあげればよい。なまった体の人が多いので、今年は28度で十分だろう。どうしても暑い人は、自宅でも26度なり、20度なりお好きなようにすれば良い。ただし公共の場では、このご時勢でもあり、28度に標準化すれば良いと思う。今年できなくて来年にはできるなんて理屈はないのだ。

ちなみに我が家の夏の設定温度は数年前から30度である。今年から職場でも私だけのときは30度にしている。
暑いなと思うことがあるが、それは最初だけである。その時は、風を強くすれば済んでいる。

草花と人間のメタファー

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草花と人間のメタファー

私の本職が教師のせいか、庭仕事をしながら花と学生の違いをいろいろと考えてしまう。
人間様は、甘やかされて、なかなか他者の言うことを聞かない(もちろん私を含めてである)。ペットも同じである。
しかし、植物は違うだろうと思っていた。いやまてよ、植物もぜいたくになってきているのでは?と思うこともある。人間に水や栄養を快適な環境をもらい、野性味がなくなっているのでは? 水をもみらわなくなると急にへたるとか(笑)ありそうだ。少し厳しい環境に耐えることができないと、その種はやはり絶滅するのではないかという気もする。人間様はたぶんダメだろう。では、ゴキブリはどうだろうか(笑)??

それはさておき、私の尊敬する志水宏吉先生は、「学力を育てる」(岩波新書)において『学力の樹』モデルで学力の全体的な構図を説明している。葉、幹、根の暗喩で、それぞれの、またシステムとしての重要性を語りながら学力を説明するもので、大変説得力のあるモデルである。なるほどなあと思いながら、やはり根がしっかりしないとダメだよなと思っていた。しかし、根っこがだめでも、挿し木をして根がしばらくして張ってくることがある。植物、いやそれに限らず命の不思議な力だ。そのメタファーが、学力の本質を示しているとすると、もし基礎学力が弱くても何とかなる可能性がある。遅すぎるということはないということである。ただし、やみくもに挿し木をしてもほとんどの場合はダメだろう。
志水先生は、その本ではそこまでは語っていない。それは各自で考えろということだろうか。

H 庭をきれいにしたら性格が変わった?

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H 庭をきれいにしたら性格が変わった?

「たまには、自分でも庭掃除をやってよ」と妻から文句を言われていた。
このごろは、逆である。「たまには、自分で掃除をやってくれてもいいのだよ」と暗に嫌味を言う。
年に一度くらい、今まで言われて嫌々ながらしていた庭掃除を、自ら毎日、朝晩に庭掃除をするようになったとは考えられないことだ。庭だけではない。(週に一度だが)家の中も徹底的に掃除をするようになった。これが以前に記した「形から入る」ということかなと思う。

花は咲いているときはきれいなのだが、そのうち必ず花ビラが落ちて汚くなる。せっかくのきれいな風景がだいなしになってしまう。そこで、きれい好きになった私(笑)の登場となるのだ。今では我が家の庭の前面に関しては、統一された鉢群・花壇と物置以外には、自転車1台を除いて生活臭のあるものは一切置かれていない(と思う)。

昔の庭の風景、その時に咲いていた花など、家のご主人様ですら忘れている。だから、ご近所のひとはなおさら忘れているだろう。他人の家の庭などには、あまり関心はないはずだ。他人も関心のない、自分でも忘れているような情報だからこそ、記録としてライフログは(その本人にとっては)意味を持つ。でも、いくら文字で一生懸命に記録を書いても限界はある。おまけに人間の記憶は曖昧である。写真による情報ならば強烈だ。以前に撮影した写真と見比べると、いかに汚ないままで今まで放置して暮らしていたかが一目瞭然でわかる。

ブログのために時間を費やすこと

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ブログのために時間を費やすこと

今まではブログに時間を費やすことはなかった。いまでは暇さえあれば、ネタ仕込みのメモをする。関連したツィッターだってしなければ、そのための時間も不必要だった。また、庭の手入れも花を植えることをしなければ、その時間の消費もなかった。一日の2時間くらい、この新規の二つの項目で費やすようになったのである。

そんな新たなことを始めなければ、別のこと、たとえば仕事のために使えた時間である。とはいっても仕事を手を抜いているわけではない(と思う(笑))。しかし、今年は仕事への準備をしなくなった。より良くしようという意欲が正直失せている。やっても大して変化がないことはやめ、変化のあるところに自分の資源としての時間を費やしたいということだ。仕事は、いつか終わりを迎える。

一方、花を愛でることは終わりのない旅だ。介護と同じである。管理された草花ということだからか、永遠に面倒を見ていく必要がある。面倒を見なくなったら、枯れて死に至るというわけだ。自分と運命共同体ということで、続けていかねばならない。

花首を切ってしまうこと

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花首を切ってしまうこと

やばい!  昨日のブログタイトルに「性生活」を載せてしまった!。と思ったが「住生活」が字が二重に見えていただけだった(笑)。今日のタイトルの「花首」が「乳首」に見えなければ良いけれど・・(笑)。

さてそれはさておき、花木を剪定をしたりしていると、間違って花首を切ってしまうことがある。これが人間様だったら、とんでもないことだ。しかし、生命力のある花は、私のそのミスを許してくれて、枯れることなく別の花を咲かせてくれる。ミスを許してくれるといっても、別のつぼみの代替があるからだ。私のミスはミスだし、首を切られた花にとっては、切り花として飾られたとしても、そこで命を断たれているのだ。
でも、あまり神経質になってしまうと、何もできなくなってしまうので、どこかで割り切るが、悪いことをしてしまったなといつも罪悪感を感じるのである。

H 住生活

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H 住生活

「些細だが幸せな日常生活」の中核的な部分として住生活の充実がある。多くの人は、気持ちの良い快適な住まいで暮らしたいと思うだろう。私の場合の気持ちの良いとは、具体的にはよく管理の行き届いたという意味である。
ホーム・カテゴリーの下の「おしゃれ健康・住生活」サブカテゴリーのさらに下の階層であるサブサブカテゴリーは二つからなる。一つは「外構リフォーム」である。下の写真は我家の二階リビングの出窓から見た(今年1月にハードウェアとしての工事は完成)玄関まわりの景色である。その一環で、ソフトウェアとしての花を愛でる環境を整備している。すると、庭に命の息吹を感じ、一段としまったような感じがする。
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もう一つは、「心地よいすっきり収納」。こちらは家の内装系の話であり、また別の時に記そうと思う。
それ以外のサブサブカテゴリーは、10年近く乗っている「車の良好な状態の手入れ」、それから「家の定期点検」、そして大きなテーマである「夏涼しく冬暖かい部屋への研究」、さらに「我家流おもてなしスタイル模索」の各サブサブタスクが、私の住生活での今年のテーマである。

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