夢分析パート2

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夢分析パート2

夢分析をしてもらった。前のブログエントリー http://miketoy.posterous.com/95378444
を勤務先のカウンセラーに見せた上である。
せっぱつまった状況にある。汚いこと、嫌なことでもしなくてはならない。それを、なんとか持ちこたえてやっているというようなことが伺えるようだ。ものごとが完了していないと解釈できるという。理不尽との戦いなのだなとも再認識。
体育会系の有無を言わさず、相手に強いる強圧的な力を持った人。それに対抗する私という構図だ。しかし、私は非力な立場である。最終的にはその圧力に屈することが多かった。今回も圧力に屈するのだろうか。これは結末がどうなるかは、曖昧である。それは未来の仕事だろう。結末がわかってしまっては、人生は面白くない。

プレミアム和菓子

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プレミアム和菓子

おとなりさんから先日、仙台銘菓の「プレミアムずんだ」を戴いた。高級ぽいアイスのようなパッケージだが、アイスではなく中身は正統派の大変に美味しい、ずんだもちだった。
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高級なものを時として食べるのは大変嬉しいし、幸せな気分になる。

同じようなことが最近増えてきた。例えば、 毎朝はヨーグルトにジャムを混ぜて食べる。基本的には100円ショップで売られている中国産のジャムである。まずは基本的機能の充足が必要。その上で、時折プレミアム、Fausionなどの高級ジャムも食する。残り時間もそう多くはなさそうなので、本物志向の満足のゆく美味しいものを、多少贅沢であったとしても味わっておきたい。

Google ストリートビューでの世界旅行

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Google ストリートビューでの世界旅行

オレンジをはじめとする果物の美味しい季節だ。カリフォルニアオレンジを食べると、30年余り前にホームステイをしていた米国カリフォルニアのサンディエゴを思い出す。Google の航空写真で飛び、そのお世話になっていた街周辺をカーソルを動かしながらストリートビューにて遊んだ。その当時のName listの住所を頼りに、歩いた道路、訪ねた家は確かここだったなとか思い出す。少し言い過ぎかもしれないが、ドライブをしながら街並を見ながらぐるぐると行き来しているような気分になる。そのくらいの自由さと臨場感がある。シアトルのマイクロソフト社にも、30年弱前にしばしば行ったので、その近辺も散策した。但し、こちらは住所が不確かなこともあり、どのあたりだったか怪しいのが残念である。

日本国内でも、大都市を中心にそのようにストリートビューで、さまよえる道路は増加している。将来に、足が不自由になっても、目が見えてさえいれば、それなりに楽しめるはずだ。どんなにミスをしても、迷子にならないのも、英語を話さないで済むことも、そして絶対に自動車事故に遭わないのも魅力的だ(笑)。老後は、これで知っていた街の世界旅行をゆっくりと味わい直したいと思う。

アメリカ嫌い

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アメリカ嫌い

私はアメリカに対して好意的である。子どもの頃はアメリカは大嫌いだった。日本のお国のためにがんばろうとすら思って(思わされて?)いた。戦後の教育を受けたといっても、教えている人が必ずしも、急に民主的になるわけでもない。日本人の多数は、日本が戦争で負けて悔しいと思ったのではないか。私も小学生で社会を勉強した時には、第二次世界対戦で日本が勝利していれば、もっと日本の領土はもと広くて、豊かになって望ましかったのにとすら思っていた。アメリカとの戦争に勝てなかったのは実に残念だった、そう思ったのは私だけではなかったと思う。教師がどのように指導していたかは、よく覚えてはいない。明示的ではなかったにせよ、お国のためにと思わされていた風土は少なからずあったのかもしれない。

先週見たテレビ番組(3) 「オカンの嫁入り」死ぬんから受け容れるのか?

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先週見たテレビ番組(3) 「オカンの嫁入り」死ぬんから受け容れるのか?

先週に、NHK-BSで「オカンの嫁入り」を放映していた。母親と娘の関係を考えさせる映画だった。その中で私が印象的だった言葉がある。娘役の宮﨑あおいが母役の大竹しのぶに「余命一ヶ月と言ってもらえれば、私だってきちんと受け容れられたのに・・・。」というようなことを言った。すると、母は子に、「あんたは私が死ぬんから受け容れるのか? そんなの全然嬉しゅうない!!」と言い放った。そのあと、どんな会話がなされたかはわからない。条件付きな愛ならいらないということだろう。ストーリーは差し控えるが、それにひきかえ・・・ということだろう。私達の身の回りはなんと条件付きの事象が多いことか。カウントダウンを控えた母の気持ちは良くわかる。

私は結構良い映画だったと思い、他の人の評価もチェックしてみた。何ごとでもそうなのだが、意味不明とか酷評するネガティブな人もいる。評価は人それぞれなのだが、ものごとの良い面を、寛容な心で見ようよと言いたいな。

グレープフルーツ

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グレープフルーツ

グレープフルーツというと、半分輪切りにして出すのが普通だろう。料理研究家の寺田真二郎さんの「クレソンとツナのグレープフルーツサラダ」においても、輪切りに切った後に、ナイフで中身を取り出した上で、絞っていた。
私も10年以上前までは、そうして食べていた。しかし、それだと、果汁が出てしまい、もったいないし、そのせいで周辺がべとべとになる。だから、私はみかん方式で一房ずつ食べるように変えた。そうすると、汁がこぼれる量は最小限ですむ。
なぜ、それを皆さんしないのだろう。見栄えだろうか。しかし、果汁を絞るという目的では、果汁量を最大化する観点からすると、それは関係なさそうだ。みかんや甘夏などを、輪切り方式で食べる人はいないはずだ。オレンジはどうか、両方ありそうだ。ともかく、そんなものだという思い込みに凝り固まっている場合は、私達のまわりには結構多いのではないだろうか。

同じ条件を与えられても結果は異なる

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同じ条件を与えられても結果は異なる

若手の料理研究家の躍進が素晴らしい。イケメンの寺田真二郎さんである。現代という時代にマッチする独創的な数々の料理を展開している。30代も躍進してきているが、20代でこの力量だ。数日前の「きょうの料理」で見たのだが、その立ち振る舞いなども素晴らしかった。

料理番組を見ていると、同じ食材と調味料を与えられていたとしても、できるものは知識の有無によって、しばしば差が出る。 私の母は料理が得意ではなかった。父は無頓着でもあったが、あきらめてもいたのか、「腹に入れば、どんなものでも同じだ」と言われて私もなるほどと思って育った。私も親からの無意識のプログラムに気がつかなかった時に、大人になっても同じようなことを言ったことも、しばしばあると思う。しかし、それは誤りで、楽しさなどを無視した暴言だと、今では思う。
知識と意欲があれば見た目も、また味もおいしい料理ができるだろう。そうでなければ、まともな料理とならないこともあるだろうし、せっかくの食材を持て余して腐らせるだけかもしれない。
全ての人に、お金と同様に平等な食材を配給モードで与えられたと仮定しよう。そのように同様な機会が与えられた場合でも、寺田さんのような人と、我が母(私も含めて)では結果は平等にはならないだろうという一例である。

客員教授

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客員教授

実施しないかなと思っていた歓迎会は、昨日学内のカフェテリアにおいて実施した。その席には、自ら専任教授から客員教授に希望されて(すると、学内管理業務が免除される)なった方も出席していた。

それはさておき、俳優の佐藤浩市氏が東北芸工大に乞われて客員教授になるらしい。年に一回、特別講義をするという。

今の時代に、大学教師の世界に正式ルートの狭き門より入るのは実に大変である。客員教授以外に特認教授や特別招聘教授など、意味不明な類した称号がある。大学教師に至るためには、マスコミで売れていることなどによりバイパスで、それらを活用して就任することがある。私は他者から意見を聞かれれば、著名な「女子アナ」になることは、一つの有力な道だと言いたい(女だと得することのひとつだと私は思っている)。ええっ!と思うような研究業績の人が大学教授でいることもある。もちろん私個人としては、あまり面白くはないと思う現象だが。

先週見たテレビ番組(2) ライフログ

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先週見たテレビ番組(2) ライフログ

10日くらい前のクローズアップ現代で「ライフログ」について放映していた。私もツィッターでフォローしている糸井重里さんや五藤隆介さん、また本で読んだ美崎薫さんなど著名な方が出ていたと思う。

糸井さんは、自分の求める方向とは違うなぁという、やや否定的なニュアンスで述べていた。とはいえ、ライフログにより、自省的に振り返ることができる。すると感覚が研ぎ澄まされるようになるというようなことも言っていた。私もこの間に、自分自身の考え方を整理でき大きく成長したと思う。リアルの人と関わる世界での充実感こそ重要だということだろう。もし、他者との関わりは求めていないなら、それも必要ない。一年近く前の取り組みを振り返ると、あの時は一生懸命にやっていたなと思う。これはログを記しているからわかることである。

先週見たテレビ番組(1) 終活

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先週見たテレビ番組(1) 終活

先週の首都圏ネットワークで「終活」をやっていた。あまり魅力的ではないネーミングと批判されているが、確かにそんな時代だねと納得。しかし、番組での人の生き方を、人生の終わり方に対してツィッターで批判する人がいるのは辟易する。親世代には通常通り、自分の子ども世代には同じようなことは期待せず、自己完結させる。もう、自分もそのような時期に来たかという気がした。団塊の世代より少し下である私には、そのような彼らの思考を理解できる。各自の生き方を、関係ない他人からどうこうと言われたくないものだ。
時間を大切にしないで惰性でテレビ見続けるような人にとっては理解できないと思う。私は、どうでも良くはない。やりたいこと、やるべきことに注力する。そして、悔いなき人生として締めくくりたい。

そのあとのEテレ(これも変なネーミング)ての「団塊スタイル」も見たが、こちらは今一歩。あと、数回なので見ると思うが、このような団塊世代を対象とした番組は、このところ増加しているように思える。私にとって今後の生き方の参考にすることができるので、大変興味深く見ている。

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