快適な家を求めた探索行動

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快適な家を求めた探索行動

先週末に三軒ほど興味のある家を見学してきた。
第一のものはソーラーサーキットの家である。以前から注目していたもので、本命の見学先である。価格は高いが、温度変化が少なく快適そうなのである。高機密高断熱の家は冬を想定している。この家は冬だけでなく、夏の暑さを自然の空気の流れでしのげるのが違いである。温度差が少ないというのは、うそではなさそうだ。ただし、湿度は防げないといっていた。これもそうだろうなと思う。
第二には、外壁のみの外断熱リフォームの家だ。営業マンは都合の良いことしか言わない。したがって、どの程度寒さを防げ、暑さを凌げるか、居住者と会話をしたかったが、外出していたようで叶わなかった。多少効果の程度に怪しいところもあるものの、検討には値しそうだ。すぐに、リフォームという必要性はいまのところはないけれど、最も現実的な選択肢ではある。
第三は駅近くのタワー型のマンション。これは都会的なライフスタイルで別の角度から興味深い。しかし、見晴らしが良いところは高価格である。窓からの風景は、ビルの裏の配管やら、再開発待ちの立ち退き拒否の古い家並みの景色には興ざめだ。私としては、今は戸建てがベストだ。庭も持てるし、間取りなども自由に改造できるのが良い。という我田引水の都合良い(笑)結論に至った。

50代になったら・・

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50代になったら・・

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先週は兄妹会でご招待をしたのだが、私は人の家に呼ばれることはまずない(少なくとも10年以上ない)。互いに独立しているからともいえるのだが、それだけ私の交友関係が希薄なことを証明しているのであろうか。お盆に限らず、このような風景は月でも同様だ。それについては、そのころまでネタ切れせずに書き続けていれば(?)記すことになるだろう。

アップル社のスティーブジョブズが、大学卒業生に贈るスピーチで、「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい」と語ったという。またソフトバンクの孫さんも、「人生には、いつか必ず終わりが来る」「人間50歳を過ぎたら、今この場で終わったとしても悔やまない人生を過ごしていかねばならない」とツィッターで発言していた。
私も同感である。お盆近くの時には、その意識を強く持つ。私も今まで選んできた自分の人生が、親子関係を含めて、果たして望ましかったのだろうかと疑問に思ったこともあった。今はその中年の危機の時期を超えて、居直っているため安定していると思う。

食べたいものを食べられる幸せな食生活

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食べたいものを食べられる幸せな食生活

「些細だが幸せな日常生活」の一つに食生活がある。
各自の予算制約はあるものの、好きなものがあたりまえのように食べられることは素晴らしいことだ。一方、もし医者から、それを止められているとしたら辛いことだ。また、そうでなく食べたくても、からだが受け付けないこともある。実にお気の毒としか言いようがない。これらも失うことによって、わかる幸せのひとつであろう。

亡くなった母親は食べるのが大好きだった。私が子どものころ、母親が人前で自身の趣味が「料理」だと言ったことがある。笑わせるな、ばか言えと思ったし、後に直接にも言ったと思う。普通の人は料理というと、「作る」ことと想像するだろう。あまり暴露はしたくないが、料理を作ることでは決してなく「食べる」ことに違いないと息子としては思った。食べるのを楽しむのならば、グルメということばを今なら使うであろう。

それはさておき、病院で寝たきりで、さらに食べ物がのどに入らなくなり、点滴モードで食べられない状態になった際に、姉妹から「元気になったら、またおいしいものを食べに行こうね」とか言っていて、好きな食べ物の話をいっぱいしていた(私を含めて)。それは酷だったかもしれないなとも思う。それは、今思うと少しの後悔だ。

「MyCD作成」

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「MyCD作成」

母親の亡くなった翌年に「Miketoy家の歴史」の5-6分のDVD、およびそれをCDやVHSテープにして親類に配った。当時はツールが揃っていなかったので、結構苦労して作成した覚えがある。私用の「MyCD」版は誰も作ってくれそうもないので(笑)自分でそれを準備だけしておくことが数年来の課題だった。

これに関してはこのブログを書くことの集積がストック型の情報なので、その目的に役立つだろう。デジタルになっているのだから、出版物にするための苦労は少ないだろう。そのようなソフトウェアツールを介した製品やサービスも出現してくると思う。既に「はてなブログ」では、その種のサービスがある。ブログを「マイブック」にするようなものと理解している。できれば、自分のブログがオフラインで、ブログを見るが如く完全に見れるようなリンクも伴って欲しいところだ。その種のものならば、形を持った「本」でなくとも、CDかDVDで十分だ。利用者としては、ブログさえつけていれば良い。この年末にはエバーノートベースかもしれないが「MyCD2011年版」を美しい形にて完成させたい。

自分のログを見て思う過去、現在、未来

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自分のログを見て思う過去、現在、未来

人間、過去は変えられないけれど、未来は変えられるというのが私の信条である。過去を参考に生き、しかし、あまりとらわれずに(とらわれすぎると人間が暗くなる)、今の私に何ができるか?と問いながら前向きに生きていきたい。このような考えは、いろいろな他者の言っていることであり、私のオリジナルではないが。

ツィッターで私は昨日のブログを書いている。自分のタイムラインを見ていて、若干違和感がある。「今」のつぶやきを書いている人が多いし、それがツィッターの特徴なのだと思う。ブログは、どんなに一生懸命に書いても何も違いは起こらないと思う。なぜなら、ブログは終わってしまった「過去」のことだから。いわば、死んだ屍のようなものだ。私は変わり得る「未来」を生きたい。できれば、未来志向の人同士が集まるネットワークで、何らかの共同のプロジェクトを起こせたら良いなと思う。ツィッターはたしかに「現在」かもしれないが、そのような場に最適というわけではないのではないか。

通帳はお金のライフログ

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通帳はお金のライフログ

昨日はお給料日であった。子どものころ、学校の先生は夏休みなどは授業をしないから、その時はお給料が減って大変だろうなと思っていた。しかし、そんなことはなく普通に出るのでありがたい。平日の自宅研修日と同様で夏休みも仕事をしているので休みではない。何が「仕事」であるかの定義は難しいが・・(笑)。
考えてみれば、お給料明細袋(今どきも袋はあるのだろうか?)や銀行預金の通帳なども金銭入出金に関してのライフログである。結果としての金額しか記されないから、各トランザクションをメモしておかないと、何に使ったのか、誰かに勝手に引き落とされたままなのか(笑)わからないままということもある。通帳というものは他者(銀行)に依存していることと、過去志向なので私の好みではない。しかし、人生のお金の側面でのライフログであるのは確かだ。

再度の白内障手術について

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再度の白内障手術について

昨日は左目の白内障手術であった。手術は次のようなもの。
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「白内障の症状と治療」大鹿哲郎監修より

今度は二回目だから勝手がわかっているので平気さとは思っていたが、やはり辛かった。手術後検診を本日終え、一休みした後の今、ブログを書いている。
痛みや異様な感じは数日すると忘れてしまうので記録のログは必要かもしれない。手術の前に心電図と脈も同時にはかられている。そして、横になり、眼を強制的に開かされ、テープのようなもので貼り付けられ、眼をじゃぶじゃぶ消毒のため洗われる。その後の操作では、眼の球をさわられている感じで、やはり気持ちは悪い。さらに強い光を当てられて、それをこらえてその強い光を見ることを要請される。異様な感覚で、局所麻酔をしているから、全く痛くはないものの結構つらい。眼をかっぽじられる感じといったらよいか。こそこそメス等をとる音のしたあと、かきまわされた感じの後に、突然に光の中に台形状のシャープな輪郭が見えて来る。これが眼内レンズだなと直感した。あとは、しばらくして、再度消毒のようなものをしておしまいで、手術時間は二十分くらい。二人の医師がおしゃべりをしながら手術をしている。集中しないで平気かよという気もしたが、腕の良い臨床経験を多く持つ先生のようなので平気だろうとは思っていたが。

手術後には、今回の模様をブログに記すために冷静で書く内容を意識していようと思ったが、身体に力が入ってしまいブログの原稿どころではなかった(笑)。先生から、「もっと力を抜いて・・」と注意されるほどだったから。文学的才能のある人は、うまく描写できるのだあろうけれど、私にはそのセンスはない。いずれにせよ、もう、こりごりだ。手術後は、多少の違和感を伴うし、話しかけられても、何も話をしたくない。付き添いにど同行してくれた妻にも不機嫌に当たってしまって、悪かったとは思う
そのときの痛みは後に忘れるから好都合だ。一ヵ月後には何も意識しなくなるのだろう。

白内障手術で得た予想外のもの

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白内障手術で得た予想外のもの

今日は左目の白内障手術であるが、勝手が多少わかっているので緊張感は少ない。放置しておくと、失明するということでの手術なのだが、その後の選択肢は三つあった。

テレビを重視する人は中距離に、遠くを見る必要性のある人は遠距離に焦点を当てれば良いという。日常生活を重視する上では、近距離にあわせるのが適当だということであった。ということで、近距離に合うようにレンズをつくってもらったのである。裸眼である程度、見えるくらい視力が回復するといわれていた。しかし、たいしたことないだろうと想像していた。

しかし、予想外の収穫があったのである。新聞を読むときや日常の食事時にメガネをあまり必要としないのである。お風呂に入るときに、支障ない程度にまわりのものが見えるようになったのは新鮮だった。ただし、掛時計の時間やテレビの字や人の顔を見るときはメガネをかけないとほぼ見えない。遠くも見えないから、もちろん運転はできない。私の場合は、買い物の時に時々する必要のある運転の時だけだ。オペラをみることもない。テレビもニュースがドラマをみるだけだ。それ以外は、本を読んだり、パソコンで戯れたり、花を愛でる、日々の食事を楽しむということだ。
テレビ好きには、中距離だろうし、学生の日常だと、黒板が見えないとつらいから同様だろう。私もかつて、つらかったことを思い出す。職業人の私にとっては、この種のことでは有利な立場にあるので、「黒板の字が見えない?俺には必要ない」で済ませられる(笑)。
頻度の高いところは裸眼で見え、少ないところは眼鏡でという棲み分けをするわけだが、これらが自動調整できる人間に備わっている目の本来の機能は大変に素晴らしい。

兄妹会

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兄妹会

親しい友人を、弟子達を、そして息子たちを迎える私の流儀が「我家流のおもてなしスタイル」である。昨日は兄妹会であった。近隣の県より兄と妹夫婦が墓参り後の11時過ぎに我が家に集合した。両親は、かなり前に亡くしていて、親を偲ぶ会が趣旨である。ホスト役をこの数年実施している。こんなことがないと集まることもない年に一度のイベントの恒例行事である。料理の一部を示したのが下記写真。
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メニューは「きょうの料理」のバックナンバーや関連情報をもとに、数日前にメニューを決めてある。一昨日は材料の買出しであった。私は口だけなので、あとは妻に料理は任して、私は内外回りの掃除担当である。私の関係のためにやってもらっているので、この間は頭が上がらない。お客さんがくると、家をきれいにしようというモチベーションがわく。このような徹底的にきれいに保つ大変良い機会逃すと、我家は汚いままなのである(笑)。学級担任の先生が家庭訪問に来るとなると、とたんに家がきれいになるのと同じである。

お客さんがきても、心地好く過ごせるような気遣いをするホストでありたい。今後、私が果たせるかぎりはずっと続けていくタスクのひとつである。

勘違いの増加

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勘違いの増加

私たち人間は勘違いをすることがある。家の関係で目に付くのは「玄関の鍵の閉め忘れ」である。閉めたはずだが・・・ということがある。無意識の習慣で閉めていることは多いだろう。しかし、そうでないときもある。我が家でも、年に1回くらいはある。1/365の確率とすると、約0.3%である。少ないといえば少ないが、あるといえば、あるのだ。これは。二人暮らしで相互に独立で同程度に不注意とすれば、約0.6%と増加する。いれば「人の信頼性」と関係するのだろう。その鍵をかけ忘れたその日に泥棒に入られたら大変なことになる。窓の開けっ放しもときどきある。後に夕立が来て、中がびしょぬれということもあった。

同じようなちょっとしたミスや勘違いが時に生じる。致命的なトラブルに遭遇していないのは幸いだが、その頻度が多くなるのが老化の始まりかもしれない。多くなっている気もするが、前からかもしれない。

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