ライフスタイル分析

From Evernote:

ライフスタイル分析

「ライフスタイル分析」というワークショップに参加してきた。ボランティアになる人の語る家族布置と幼少期の早期回想から、そのひとの自己像、世界像、人生で選択した戦略などを通してその人のライフスタイルを分析しようとするものだ。私も他者のそれも関心はあるが、自分自身のライフスタイルはどうなるかも知りたかった。講師のあげたボランティアの条件を満たしていなかったので遠慮したら他の女性が手を挙げ事例となった。プロの手にかかると、人々は単純なライフスタイルの原理で動いているのが第三者的に見ると理解できる。具体的にそのプロセスを披露すると、その年齢と性別からライフステージのどの段階にいるかを手がかりに、限られた情報から構造をたよりに解明していくプロセスを学ぶものだ。その際に、自分の親の夫婦仲の問題は子に大きく影響を与える。自分がケースとなったらどうだったか、シミュレーションしたが、似たような結末だったろう。私の場合は親の夫婦仲は良くなかった中で育った中間子というのが出発点で、そこから、今思い起こす回想(柱時計がゆっくりと永遠に続くようにコツコツと動いていたこと)と現在のベクトルを見出し、向かっている方向を探るのだ。

いろいろと考えるのは、自分のライフスタイルもそうだが、私の連れ合いのそれがどうか、私の息子達はどうか、娘の視点で見るとどうか、手掛かりになる。仕事でも少ない情報から本質的な解決策を導くために利用したい。但し、それはあくまで推測でしかなく、実際には本人との会話をして、一つ一つを確かめて行かねばならない。従来私はこれに対して、こうなのてはないかという公式を持ち出して、それに無理やり当てはめていたかもしれない。だから、こちらが先回りして多くを語りすぎていたことも多いような気がする。今回気づいたのは、それはあくまで仮説だし、その可能性は十分にあるのだけれど、そうではないかもしれない。そのために、相手に多くを語らせよう、言葉を挟むのは遠慮しよう、そうでないと押し付けになるし、相手はそれ以上語ってくれなくなるので、戒めなくてはならないということだ。久しぶりに勉強した気がして有意義であった。

ネットでの匿名性について

From Evernote:

ネットでの匿名性について

私の本名はMiketoyではない(笑)(当たり前だ。自明のことだと一般人はわかる)。ツィッターやブログで写真を公開しないか、また名前をどうするかで、両方ともしない、両方ともするで組み合わせとしては計四つある。
私の場合は、ブログやtwitterでの名前を実名にしても良いのだが、あえてしなくても良いではないかということでしていない。ツィッターブログで、その人たちを特定する必要はないのではないかと考える。一方、メールの場合は別である。秘密主義でそうしているわけではないが、@miketoyはすでにMachoなMiketoyさんに取られているので、@kawaguchi_2010で異なる。Facebookでは実名で登録している。写真、あるいはシンボルとしてのアイコンをどうするか、これも考慮すべき選択肢だ。自分のそれに、ほかの人の写真を拝借して載せることはあまりないだろう。自分でも、気に入った写真をするのではないか。私もそうであるといいたいところだが、面倒くさいのでパソコンのカメラで、あまり気にせずにリアルで写したのをそのままアップしている。写真を載せない人は、それなりの理由があるのだろう。

多少離れるかもしれないが、自分のことは棚に上げて(自分の立場を明示しないで)、他者を批判するのを時々見かける。そのような風土がネットの匿名性ではあるのではないか、それは私は不満である。相手はそう思ていないのだろう。思想なしに、真理だけ語るなど、理想論だと思うのだ。身元を明らかにせず、他者をバッシングするのは私は卑怯な行為だと思う。言葉には責任を持ってほしいと思うし、フェアであるべきだという考えがある。「べき」というと、価値であり、そうでないという意見もあるのだろうが。

わずなううぃる

From Evernote:

わずなううぃる

ツィッターで、「・・・なう」というのは良く見かける。それ以外もあるらしい。
過去、現在、未来をつぶやくことばが、このわずなううぃるなのだという。
前にも書いたが、ブログは過去、手帳は未来、そしてツィッターは現在と思うが、それ以外のバリエーションもあるのだということだ。
しかし、いずれにせよ、ツィッターが広げた範囲といっても、近未来や近過去がフィットするのだろう。

熱帯夜でも28度なら涼しいはず

From Evernote:

熱帯夜でも28度なら涼しいはず

昨日も暑かった。夕方の6時をすぎた時点で居間と寝室のある2階は36度越えであった。天気予報での真夏日や猛暑日などの時の温度も実態とかけ離れた低めの数値で違和感がある。最低気温もそうだ。地元の気温も、直接的にはあまり参考にならない。決して私の家だけが特殊だというわけでもないようた。熱帯夜は夜の最低気温が25度以下に下がらない日である。しかしオフィスなどのエアコン設定が28度が標準的になっているのだから、25度なら涼しすぎるくらいだ。家の室内居住空間の温度は、少なくともプラス5度くらい高い。湿度も関係しているだろうが、確かに30度を超えると寝るときは暑くて眠れない。エアコンをしても空気の流れが自然でないので不満である。

冬は冬で、外は確かに寒いが、室内温度は家の断熱具合によって変化するだろう。それでも、やはり外気との温度差は5-10度くらいある。雪のときなどは、百葉箱はより良い条件なので実際はもっと寒い。風によって体感温度はもっと下がるから。体感温度の予報のほうが利用者にとって服装を備える上では良いのではないか。

確実な節電方法の一つ

From Evernote:

確実な節電方法の一つ

MacBookAirの11インチ新モデルが到着して、今使って書いている。これからは、Windowsマシンは、しばらくお休みで、このMBAで仕事をする。人間の品格が高くなったようで(笑)少しいい気分である。

それはさておき、確実な節電方法がある。電気温水器やエコキュートのようなお風呂のお湯をためる方式の場合である。毎日湯上げをしていると思う。私も最初の設定がそれだったら、最初の一、二年はそのままにしていた。しかし、夏の暑いときに、タンクにお湯が残っているのに、本当に毎日湯あげが必要なのだろうか疑問に感じた。そこで、湯揚げ停止にしてみたが、全く問題ないことがわかった。実際、夏にはあまりお湯を沸かさない。それがわかり、ここ数年は、季節にあわせて停止日数を変動させるモードで暮らしている。停止日数を設定する手間などたいしたことない。夏だと4,5日停止する。最後のころは、お湯が少なくなるので、「お湯が少なくなりました」とかうるさいメッセージがくるが、やるに値することと思う。冬だと、冷める温度もあり2日の停止だ(実質的には、一日おきの湯あげ)である。良くわからないのだが、お湯の量が何もしなくても減ることがある。最初は対処法が良くわからずに、そのときは風呂に入るのをあきらめていたのだが、のちに手動で湯上げをすれば良いことがわかったのである。

深夜時間帯は、私の家では寝ていることが多いので、この時間での電気の使用量は、ほぼ電気温水器なので、その効果のほどはすぐにわかる。冷蔵庫や、お風呂のクリーン換気、通常の換気、タイマーセットしている食洗機くらいなもので消費電力的には大勢に影響はない。したがって全体の割合からすると無視可能と仮定して、夏の暑さの変動によるエアコンの影響の少ない10月(エアコン使用なし月)の一月の深夜電力時間帯分を比較する。すると、何も考えずに使っていたビフォーが約400kw、湯あげ手動モードのアフターが250kwであった。この傾向は、その後も続いているので電気使用量は、ほぼ変わらない。差し引き150Kwで、深夜帯料金を9円とすると、月あたり1300円の節電というわけである。

時間帯使用料金

From Evernote:

時間帯使用料金

私の家では東京電力の「電化上手」というプランを使用している。やりすぎかもしれないが、個人的には時間帯別料金を意識して使用する。しかし、それは相手には強いないが、できれば身の回りの人にも使用してほしい。だから掃除機を回したり、パソコンを充電したり、プリンター使うときは、昼間の時間帯を使わずに、朝晩時間帯、できれば深夜電力時間帯を使用する。いつやっても良いような仕事は、そのほうが経済的である。このようなことを心掛けるだけで、電力料金は著しく減少する。当然だが時間帯をシフトしているだけなので、電力使用総量に変化はないので節約にはなるが、節電にはならない。

節約生活はミジメか

From Evernote:

節約生活はミジメか

他者と比較はしたくはないのだが、私に意見を求められれば、世の中では無駄をしている人が多いのではないかと主張すると思う。(煙たがられるので言わないものの、心では思っているので、態度には出ていると思う(笑))。例えばケイタイの通話がそうである。数か月前の日本経済新聞の当世ふところ事情の欄で「携帯電話代をいくらに抑えたい?」という記事があった。それによると、5000円未満に抑えたいという割合は7割弱、13000円未満では34%にという人がということである。月に何千円もかかるのに疑問に思わないのだろうか。私は月に約1300円である。

ペットボトルを手軽に購入する人の気もしれない。コンビニでも200mlのそれで200円する。気軽に飲んで、そのあとにごみ箱にポイである。環境にも優しくないし、第一懐にもやさしくない。その一方で、生活にあくせくしているのでは本末転倒だと思う。優先順位がわかっていないのではと思う。
我家では2000mlの大型サイズを150円近くの底値の時しか買わない。買ったものを、ミニサイズのペットボトルに入れ替えて持っていく。外観が違うだけで、当然ながら味も何も同じである。なんでわかってくれないのかなぁと思うが、それはその人の財布の話なので深入りはやめる。しかし、そのような人たちを私を含めた社会全体で養うのは少し腑に落ちない。自己責任でやってよと言いたい。

節電できるか?

From Evernote:

節電できるか?

今年は節電する意識が大変高かったという。以前は、エアコンの平均使用時間が8時間以上、テレビは4時間という。そのような生活習慣を本当に変えられたのかということである。電気代は機器の使用量によって変動するので、電気代もほぼ確定的に決まるのだから、工夫の余地がないか考えよう。とはいえ、このような論理的なライフスタイルの提案は、自分の好みを押し付けている気がして、やや気が引ける。
たとえ理屈がわかったとしても電気は使いたい人もいるだろう。それなら使ってもらって、累進的な課税にしたらどうか? 使えば使うほど高くなるようにするのだ。基本料金や低価格帯は、そのまま維持するのだ。平均を定めて、それ以上使用する場合の料率を高くしたらどうだろうか。これはアイデアベースの話。電力会社でも、この手のことは検討はしていると思う。おそらく、実際的ではないのだと思うが。

節電で電気代がいくら下がった?

From Evernote:

節電で電気代がいくら下がった?

節電の解除命令が出たものの昨日は暑い一日だった。節電で、過去三ヶ月平均で一月あたりどの程度安くなったかのマグロミルのインターネット調査がNIKKEI日経プラス1に出ていた。なんらかの効果が出ている人が四割弱、決して侮れない数字ではない。一方、「ほとんど変わらない、もしくは効果がなかった」としている人は四割強というデータがでていた。
やっても効果が出ない人というのは、私の想像だが、一言でいうと知識不足だと思う。
エアコンを従来のまま同じように使っていて、コンセントの抜き差しだけを毎日こまめにやっていても、たいして変わらないだろう。自然の摂理を理解せずにやみくもに一部分だけ一生懸命にやっても、労多くして効果が出ない。エアコンの温度設定変更のアクションはどのくらい効いて、コンセント抜き差しはどのくらい電力消費に影響するかを適切に知り、優先順位を考え行動することが重要だと思う。

ちなみに我が家は、以前より節電に心掛けているものの昨年より電気代が上がってしまった。とはいってもオール電化で8月分は409KW、7100円強程度である。節電というより、その月のその地域の天候や外出の頻度などの外的要因のほうが影響は大きいのではないかと思う。昨年より今年のほうが暑かったかどうかは定かではないが、以前より節電を心がけているので、改善の余地はあるとは思うものの、今以上にセコセコするつもりはない。

新自由主義批判について

From Evernote:

新自由主義批判について

家族の在り方や親子、あるいは夫婦の在り方など、人の数だけ主張があるのではないか。それをいくつかの共通するセグメントにまとめあげるのは一苦労だ。だから、どのような考え方でも批判の対象になりうる。ヒトや社会に関しての真実は本当はないのかもしれないとすら思う。だから「思想」なのである。新自由主義もその限りではない。実教出版の「高校政治経済」新訂版の教科書によると新自由主義は、政府への経済の介入を批判し、自由主義への復帰を主張するもの。規制緩和や民営化による「小さな政府」の道を進めば、格差社会へ移行すると解説されている。
私もそんなに勉強していないので誤解もあるかもしれないが、誰にとっても適切な介入はできない、それならば人類を信じて自己組織化に委ねようという考え方ならば賛成である。しかし、私の師匠のひとりは、この新自由主義に対して批判的である。だから、その関係のことはタッチーな話題なので、会話ではあまり口にしない(苦笑)。

アドラー心理学の健全なライフスタイルという「思想」は、広く受け入れられるもののひとつではないかと思っているので、ここで披露したい。それは、自分自身を好きである(自己概念)。自分を取り巻く世界を好きである(世界像)。その世界に対して、私は貢献できる(貢献感)。この三側面が「健全(望ましい価値であり、思想である)」なライフスタイルを形作る。平たく言うと、その3つが幸福に生きるために必要だと考えよう、そう扱うほうが便利だよと主張する。

私は教師の立場上、自分の専門でもない分野で価値を扱うものに対して、できれば強く主張をしたくはない。しかし、どのような教師も生徒や学生指導するときに、必ず自分の生徒観のような価値が入っているはずだ。ただ、それを明示していないだけだと思うのだ。

About