松山

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松山

松山東急インに宿泊している。快適なホテルだ。昨日はレンタカーを使用して、ちょっとした別件の用事をすましてきた。昼は手打ちうどん「源内」のカレーうどん、夜は地元の人に教えてもらった国際ホテル松山の裏通りにあるやきものメインの地元料理の小料理屋「奥村」で食事。どちらも大変おいしかった。ネットも他の東急インと同様につながるので、メールのチェックやブログも普通に書ける。朝食のバイキングも非日常のリッチな気分になってよい。今日明日と目一杯、愛媛での生活を楽しむつもりだ。

国内出張

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国内出張

これから数日間、国内出張だ。ルーチンワークとしての授業から離れ、他大学での学会参加のような非日常が時としてあるとメリハリがあって良い。そのための必要経費も、勤務先からでるのでありがたい。発表は明日の朝の最初のセッションからだが、新幹線を使っても七時間近くかかる遠距離なので、本日は移動日である。

私は泊まりがけの出張はあまり好きではない。東京近辺の学会だと参加するが、地方だと宿泊が必要になるので、原則的には参加しない。環境が変わると、あまりよく眠れないことはしばしばなためでもある。しかしこの学会で発表するのも最後になるだろうということもあり、今回だけは特別だ。これから、その地方都市へ向かって出発だ。宿泊先で無線LANなどネットがつながっていると想像するが、その場でブログを記せれば、また明日も何か記すことにします。若者風に「・・なう!」というツィッターはしてみようかなと思っている。

電気を使って本を読むライフスタイル

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電気を使って本を読むライフスタイル

電気を使わないて本を読む、このタイトルだと、蛍の光、窓の雪♪を連想するかもしれない。
私としてはエネルギーを無駄に消費することに不満がある。自然光があれば、本を読むのに電気はいらないと思うのだ。写真を見るのにも電気は不要だと思う。電子書籍やフォトフレームというのがある。それらでは、デジタル情報を見るためにパソコンを使用し、バッテリーを消耗させる。紙を中心としたアナログのメディアは、デジタルなメディアと違い、エネルギーを必要としない。

かつては電車の車内や待ち時間に本を読んでいる人を良く見かけた。このごろはケイタイをやっている人ばかりである。9割以上はそうではないかと思うくらいである。電子書籍を読んでいるのならば、単にメディアが変わっただけなので、質的な変化はないのだが、そんなはずはない(笑)。これは全く別問題ながら、文字離れは顕著のようで、先行きが心配である。

さて、話を戻して、数年後には多くの人はバッテリーを消耗しながら本を読むようになるだろう。充電なしには文字を読めないというのは、紙というメディアと比べてやはり脆弱である。微弱な電気だから問題にあらずという意見もあるだろうが、私は本来的なケチなせいか、やはり電気が流れるのは気に食わない。私はアナログな紙をできる限り使用したいと思う。それならば、停電になっても読めるのですばらしい。当たり前だが(笑)。

人の成長

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人の成長

「成長」とは良い言葉だ。まわりをきょろきょろして、他者との違いを強調する差別化はマーケティング的な思考法である。他者と比べて、私はこれができ、優れているのだというように、常に比較しながら生きていく。これは、顧客が選択する観点からは正しい。選択される私たちとしては、顧客から選択されるように努力をするのだ。努力をしないと淘汰される。淘汰された場合は出直しを余儀なくされる。

しかし、この発想ではヒトは幸せになれない。自分の欠けているマイナスの点ばかりが目につくようになるからである。他者と比較することは、できれば避けたい。比べるならば、自分の過去と比べたい。そうすると飛躍しようとしている今は輝いているはずだ。それを「成長」という。

それのない人は寂しい。私には成長する意欲のない証しのように見える。時として、知的レベルが小学生程度のままの大人がいる。将来に子どもを持つようになって、子どもが小学生くらいになったら親がバカにされるかもしれないよとか、危機意識を煽る。しかし、そんなことを言っても、自分は結婚もできないし、子どもなんてしょせん無理だと、ますますいじけるのが目に見えている。 少しでも良くなろうという向上心なしには、精神の成長はないのではないか。ご飯を食べていれば、身体の成長だけはあるのだが・・(笑)。

可愛い人が得をする

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可愛い人が得をする

私の偏見があると思うが、新規のヒトの採用決定などの微妙な話では、「女」という属性は有利である。女という存在であるだけで、採用決定されることがある。逆に、男だから得をすると言うことはあまりない。女はずるいと思う(笑)。私はそのような現場を何度かみてきた。男でもかわいげのある人は得をし、クールな人は損をすることも多いだろう。
ほぼ同一ラインになった最後の微妙な一線で、女は得をする可能性が高いのではないかというのは私の経験法則である。私は女子学生には、それを武器にせよと言いたい。ただし、それに媚びるなとも言いたい。男の私はそれをするためにへつらいはしないが。

同様に、「若い」というだけで採用になることもある。このように個人の属性で、努力ではどうしようもないことがある。それをとやかくいっても始まらないと思うのだ。どこかで、割り切る必要がある。この種のことを職場の女性の同僚に言ったことがあるが、「そんなことはないでしょう」と強く反発されたことがあるので、あくまで私の個人の経験法則でしかないと控えめに言っておく。  

作文下手

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作文下手

透明性の高い社会、それが私の好みである。それを他者に強要はできるのだろうか。それは、多分できないのではないか。一つの価値観でしかないからだ。私のチャレンジする機会は、今後はもう多くない予感がある。残りの人生は、それでも透明性の高い社会・組織を目指して行動していく。正確には、目指してと言うか、そのような事態に直面したら対処するという消極的なモードだが。

9/25に私は作文は相手が見えないのでうまくできずに嫌いだと述べた。一方、それが得意な人はいる。私は作文が下手なのであろう。ある意味では、要領が悪いともいえる。先週に述べた申請却下の件は、私の言い分はたくさんあるだが、作文下手のせいでもある。見えない相手を想像して、十分に気を使い、完璧に上手な作文であったならば通ったのかもしれない。過度の丁寧さはバカらしいと、ある部分で雑になり、脇が甘くなる(とはいえ、いい加減に書いている訳ではない。念のため)。このようなことを言っている限り、コトがうまく運ばないのは自然の結末でもあり、今後も私には無理だろう。ということもあり、来年以降のサバティカルには応募しないことを公言している。

理不尽さと無責任

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理不尽さと無責任

理不尽とは、漢字の通り理を尽くしていないという意味だろう。理」による透明性の高い世界と、「情」の密室の世界の関係と対比できる側面もある。そうなると、ゲマンンシャフトとゲゼルシャフトで、以前に私の語っていたことと矛盾するように見えるかもしれない。結論的には、それらは2項対立ではなくて中庸だろうということだ。中庸といっても、足して2で割るというイージーな妥協路線ではなく、基本的には「理」の世界、しかし暖かい社会、これが可能なのではないかと思う。今日の社会は、逆の流路線のようで、基本的には「情」、最後は理(理もなしで?)のような気がする。密室で決まる世界というのは、私にとってはダーティに見える人間関係をもとにしていて、最後は問答無用バサリと切られてしまうように思える。これは新自由主義の負の側面とも関連していないだろうか。

力の弱い立場の一般人は、何らかのストレスを感じても放置しておく人が多いだろう。というのは、権限も何もないから、無力感を感じながらも同じようにことを進める。問題は、管理職のような変革しうる権限と責任を持った立場にたつ人が、何もしないことだ。これは私は腹が立つ。同僚や、後世のために、何か手を打ってほしいと思う。私がその立場なら対処するのだが、放置したままの管理職が少なくない(大学という偏屈な世界だからだと思うが)。
そこでリベラル派の私としては、時として管理職にかみつく(笑)。だから古いタイプの、あるいは無責任型の上司に嫌われるのだ。そして意地悪をされるという顛末だ。民主的な上司なら、役割と好き嫌いは区別して考え対処するだろう。すなわ、好き嫌いとは別に機能として果たすことだろう。しかし、私が上司だとしても、自分のような煙たい部下を持ちたくはない(笑)。

古い体制

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古い体制

人によって気にすることとしないことはそれぞれ異なる。私のあまり関心のないことは、適当にやってくれればよいといいたい。一方、昔からずっと敏感に反応してしまうこともある。その私は反応してしまうことのひとつは、古い体制のもたらすことのなせる不合理性である。古い体制を覆すか、改善するかは別として、古い体質や、その膿みを排除したほうが社会全体でも効用が高いと信じている。しかし、既得権を持った古い世代が(年齢だけのことをいっていない。考え方や態度が古い、いわば保守的だということだ)人はなかなか既得権益を手放そうとしない。時代の変化ではあるが、その時代の境目では葛藤が少なくなく発生する。いま私が懸命に抵抗しても微々たる変化しかもたらさないかもしれない。いずれ時代は大きく変わるのは目に見えているのだが、だからといって放置しておくというような他人任せではいけないと思い、チャレンジするのだ。

今年の私の最大のストレスであったことに対して私自身の人間としての筋を通すために意見をしたが、多くの人は何かおかしいなと気づいたと思う。生活の中で、たまにはこのようなメリハリがあっても良いと思う。こうまでしてやるというあたりが、私がリベラルだといわれる所以なのだろうか。

誰のための主張?

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誰のための主張?

大学での意思決定機関である教授会の席で、私は「透明性」の不足に関して意見した。「透明性」の意義は民主的な場であれば大勢は支持される考え方だと思う。内容は、申請却下に関する趣旨の透明性、評価の透明性、手続きの透明性についてである。意見しても事態は何も変わらないことは私にもわかっている。逆に、目をつけられて今後の活動にマイナスの効果さえある。しかし、あえて意見を主張した。誰に訴えたかったか、具体的には差し控えるが、たくさんの人々にである。自分の人間としての筋は通す主張ができて良かった。私はわかってもらえる人にだけわかってもらえればよい(実際に、何人かは私の事情を理解してくれた。ありがたいことだ)。
このブログを書くこともそうだ。不特定多数の知らない人にわかってもらう必要もないし、相手も関心もないだろう。息子たちにいつの日にか、親父は要領の悪い生き方をしていたなと批判されるのを待ち望んでいる。そのような何らかの反応がもし今後あるのならば、私も報われる。

今回の件は、その公開の場で話したことでかなりすっきりした。しかし、滅多に遭遇しないこのようなリアルな葛藤処理の問題は、他の方にもレッスンとして意味があると思うので、あと数回ほど書かせてもらいたいと思う。

世の中の不条理

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世の中の不条理

NHK朝ドラの「カーネーション」を見ている。主人公の糸子が周りの職場の先輩たちから理不尽な扱いを受けて可哀そうである。考えてみれば、私の小さな頃には(私の立場からは)理不尽と思えるものごとは多かった。不条理なことばかり、それが社会そのものだという人もいる。不条理なことや理不尽なこと(理不尽は力の弱いものが・・のニュアンスが入るが、ここでは同様な意味にて使用する)はあるとしても、そればかりとは限らない。過去と比べるならば、減ってきているのではないかと思う。まだ多い現場があるとするならば、それを少なくしていかねばならないというのが私のスタンスである。皆が気持ちよく暮らせる社会、ネガティブで足を引っ張り合い、消極的になるのでない世界を目指すのに多少なりとも貢献をしたいのである。

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