理不尽とは、漢字の通り理を尽くしていないという意味だろう。「理」による透明性の高い世界と、「情」の密室の世界の関係と対比できる側面もある。そうなると、ゲマンンシャフトとゲゼルシャフトで、以前に私の語っていたことと矛盾するように見えるかもしれない。結論的には、それらは2項対立ではなくて中庸だろうということだ。中庸といっても、足して2で割るというイージーな妥協路線ではなく、基本的には「理」の世界、しかし暖かい社会、これが可能なのではないかと思う。今日の社会は、逆の流路線のようで、基本的には「情」、最後は理(理もなしで?)のような気がする。密室で決まる世界というのは、私にとってはダーティに見える人間関係をもとにしていて、最後は問答無用とバサリと切られてしまうように思える。これは新自由主義の負の側面とも関連していないだろうか。
力の弱い立場の一般人は、何らかのストレスを感じても放置しておく人が多いだろう。というのは、権限も何もないから、無力感を感じながらも同じようにことを進める。問題は、管理職のような変革しうる権限と責任を持った立場にたつ人が、何もしないことだ。これは私は腹が立つ。同僚や、後世のために、何か手を打ってほしいと思う。私がその立場なら対処するのだが、放置したままの管理職が少なくない(大学という偏屈な世界だからだと思うが)。
そこでリベラル派の私としては、時として管理職にかみつく(笑)。だから古いタイプの、あるいは無責任型の上司に嫌われるのだ。そして意地悪をされるという顛末だ。民主的な上司なら、役割と好き嫌いは区別して考え対処するだろう。すなわ、好き嫌いとは別に機能として果たすことだろう。しかし、私が上司だとしても、自分のような煙たい部下を持ちたくはない(笑)。