連休での読書

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連休での読書

読まないといけない本があって、連休前に図書館から専門書を3冊ほど借りてきた。
ハイエク著、一谷藤一郎訳「隷属への道」東京創元社と、現代思想の冒険者たちシリーズの「ロールズ」川本隆史著、講談社、それからパットナム著「孤独なボウリング」柏書房である。どれも実に難しく、理解が困難である。学生時代にも、このような難解な書籍を読まされた覚えがある。良く理解ができないので、読んでいても他のことに気が散ってしまいがちだ。本来の専門分野が違うからという言い訳はさておき、難解な書籍に直面することは苦行であり、辛い。私には、研究書を読むよりは、庭いじりやネットのほうがずっと楽しく思うので、早く卒業したいものだ。

節電温度は30度に

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節電温度は30度に

昨日は汗ばむ陽気の立夏だった。エアコンも世の中では活躍し始めたろう。さて、私の住む市役所の広報で、例年28度以上で使用していたエアコンを30度以上で使用し、市役所も節電に取組むという。好ましいことだと思うし、その輪が広がっていって欲しい。以前のブログでも記したが、私自身は30度を自宅にて実践している。世の中が30度になったら、私は世間様より少し先を行く31度にしたいが、その温度設定は我家のエアコンではできない(笑)。

しかし、このように暑いとを言う頃には、数ヶ月前の今年の冬の寒さは、コロッと忘れている。人間の忘却力は、実に都合の良いものだ。

使用前後

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使用前後

この連休中に、自分で食事を用意する必要性があった。調味料を何とか探しだすと、引っ越してきた当時の何年も前のものばかりだ。私は賞味期限にそれほどまで神経質ではないと思うが、程度問題でもある。その調味料を使ってこの数年で何か作る予定があるのなら良いのだが、ただ置いてあるだけで、また今度引っ越すまでこのままな可能性も経験上、十分にある。パスタも出てきた。私はここに来て、家でパスタを食べた覚えがない。ということは、六年以上前のあれだということで、どれもだいたい腑に落ちる。すべて引越後に買ってきたものばかりだ。

この連休の狭間で、徹底的に私好みに、レイアウトと食材管理を一部変更した。集中してすれば、2時間かければ済む作業だ。私は不要だと思う調味料の他、乾物、お茶から何から、賞味期限が数年経っているのは処分する袋に入れた。あとは、それを見て、相方にどう処分するか判断してもらおう。貴重品なので、また使うというのなら、それでも良い。食べても食中毒になるくらいで死にはしないだろう(笑)。ともかく、写真のようにすっきりした。広いキッチンのワークトップ。パントリーももっと小さめなものでも良かったかもしれないと思うぐらいだ。これなら、ゴキブリも住みにくいと思う(笑)。今後、この状態ができるだけ維持されることを期待したいと思う。私はそれほどまでの綺麗好きではないのだが、ゴキブリ亭主と嫌がられる可能性は大である(笑)。

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一人御飯を大切にする

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一人御飯を大切にする

私の今年の新たに設定したアクションリストの項目がある。それは、「一人御飯も大切にする」というものだ。家で夫婦二人いるときは、妻が料理を作る。私一人のときは、昼の弁当を含めて、ただ温めれば良い簡単なお昼の冷凍食品のようなものになりがちだ。
このところ料理番組などで、一人分の電子レンジご飯などのページもよく見かけるようになってきている。高齢化のみならず、四月の新生活で一人用メニューの需要が多い時期のためと思われる。
私の場合は、料理を試みようとしても、味付けのための調味料がどこに何があるのかわかないので問題になる。キッチンが乱れすぎていて、どこに何があるかわからない。少し探して結局わからないと、「まっ、いいか!」ということで、冷凍食品というパターンになってしまう。このようにして、ひとりごはんを大切にしないで、レトルト食品と冷凍食品で済ますサイクルに至っている。相手任せにせず、自分で食材をきちんと管理しようということにした。メイン食材は冷蔵庫にあるので、だいたいわかるのだが、調味料関係は種類も多くて問題だ。今までは、自分の関心のある部分しか見ていなかった。今年は、一念発起で今までの惰性の食事を改める元年にしようというわけだ。

食費関連コスト

私一人分の朝食代は一回あたり200円弱である。
安くあげるには、各食材の底値を知り、上手に買い物をすることだ。例えば、グレープフルーツを購入する時は一個あたり100円を目安としている。オレンジでも、りんごでも同様である。卵も1パック、ハムもベーコンも100グラムあたり100円、そして六枚切りのパンも100円で同様。牛乳1Lは150-200円。それらから、一回あたり消費量を推定することにより、コストが計算できる。普通の定価は5割増くらいなので、300円くらいになるだろう。これが毎日だから、月では100円の30倍、3000円の差額が出る。
昼の弁当は同様に計算できるが、夜の食事は管理がしにくい。とはいえ、魚も同様で、解凍サンマ、アジなどやはり100円の時しか買わない。肉も種類や部位にもよるが、似たようなものではないか。ペットボトル2Lの150円買いもそうだ。
スーパーまで買いに行くガソリン代と手間を考えて、まとめ買いをするのだ。ネットスーパーで購入することもある。配達してくれるから、雨の時や忙しい時などは、5000円以上購入なら送料無料なので、それに合わせてまとめ買いをする(しかし、結構、商品選択の際の反応が遅くて大変なようだ)。

食費は2人分で、6万円弱である。私の主担当の買物は、果物とか牛乳などのわかりやすいものだけだ。肉や野菜の選択のための目は粗い。結構うまく買い物をしているのかなと思っていたのだが、まだ改善の余地のあることがわかった。

スクランブルエッグ

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朝ごはん

朝はいつも電子レンジを使用するセルフサービスでの食事である。
ベーコンエッグかハムチーズのトースト。それにきゅうりかタマネギを少々のせる。暖めた牛乳、夏はそのまま。
果物の定番は、グレープフルーツ、冬はふじのリンゴを半分だ。季節によって、それ以外のいちごとか、ぶどうとかに変わることが時々ある。それに、ヨーグルトはブルーベリーかいちごのジャムを混ぜて、デザートだ。

朝食は何年もこれだが、飽きない。いつも朝食をとるのは楽しみである。なお、卵はフォークで穴をあけておかないと爆発するので、様子見で二回扉を開け、計一分間だ。その朝の卵料理のレパートリーがひとつ増えた。それは電子レンジ5分でできるスクランブルエッグである。今日の料理2012年4月号のきじまりゅうた氏の「レンジスクランブルエッグ」として掲載されている。鍋を洗ったり、油をひいたりしないで、一人分のものを手軽につくれるので、洗い物も少なくて済み重宝する。
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いちご嫌いの人はいるか

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いちご嫌いの人はいるか

いちごの値段が手頃になってきた。色といい、形としても、その愛らしさは独特だ。甘みの多い大粒イチゴを食べると、とても幸せな気分になる。一方、食をはじめとする好みは複雑だ。こってりとしたあんかけ、これを嫌いという人もいる。ふわふわとろとろとの卵も私にはとても魅力的だ。こってりしている料理はおいしそうと思うが、あっさり好みの人からの評価は逆である。つまり、自分の好みを押しつけてはいけないということだ。

エリスのABCD理論というものがある。ものごとを引き起こすような出来事が、Activating event, その事実は同じでも、それに対する認知が異なると、すなわちBelief、信念、思い込みによって、結果、問題、悩み、症状などのConsequenceは異なるというわけだ。問題は、直接にA->Cではなく、A->B->Cのプロセスで問題や悩みは起こるというものだ。そのBには、合理的な思い込みと、非合理的な思い込みがあるから、必要に応じて理性を持って非合理性をDispute論破、論駁する必要があるというものである。

そのようなことからすると、イチゴにしても、甘酸っぱいという客観的な甘味や酸味の事実、三角形状をしている事実がある。その糖度や形が気にくわないという人がいても不思議ではない。あえて探そうとも思わないが、イチゴのきらいな人は多くはないのではないか。同じように、日本人ならば春の桜の嫌いな人は少ないのではないかと推察できるので、差し障りのない会話においては有効であろうと思う。

ものごとの決め方・・最後は市場が決める

昨日4月29日付の日本経済新聞に、「会議が多すぎはしまいか」との元東京大学総長の蓮實重彦氏の意見が出ていた。その主張の内容とは若干ずれるが、そこでは「解決すべき問題が生じると、ほとんどの組織は、ほぼ例外なしに、特別な委員会を設置して審議を付託する。数ヶ月、ときには数年をかけたその審議が・・」と書かれていた。へぇーつ!、そんなことしているのかと驚いた。専門家の意見としての「その審議が答申案としてまとまると、その委員会を設置した会議で改めて検討することになる」。さらに、「どこの組織も、ほとんど機械的に「特別委員会」を設置してしまった」と蓮實氏は述べている。

また、会議で決まったのだからと思考停止することにも、蓮實氏は疑問を投げかけていた。その趣旨は考え続けないさいということだろうが、一度決まった議論を、正統な理由もなく従わないのはもっとまずい(意見があるなら、その場で主張すべきである)。その会議に不在であった人が、そういうこと蒸し返しをすることもある。時間泥棒であるとともに、周りの人たちのモラルを一挙に下げることになる。それよりも、不思議に思うのは、なぜ解決すべき問題が生じた時に、関係者を招集して解決に向けた議論をすぐにしないのだうか。おそらく、関係担当者はこの件は明るくないので、専門家の意見を聞いて・・というようなことなのだろう。

政府や役所での特別委員会とは、時々聞く言葉だが、そうしているのだとしたら、無責任体制であり困ったことだ。確かに専門家の意見は、拝聴に値するのだが、民間企業では、そんな悠長なことをしていることはあり得ない。いろいろな複雑なものごとが世の中にはあるが、話し合いでなかなか決まらないことがある。最後はどうするか。それは多数決で決めるということになると思う。 多数決に反対する人は、他の選択肢はあるのだろうか。とことん全員一致まで話し合うと主張するかもしれない。しかし、それは時間の無駄であると思う。特別委員会の答申が、本当に全員に納得できるものなのかも怪しいこともある。妥協の産物かもしれない。人はそこまで話し合いにて、理解し合えないのではないかと思うからだ。日々変化する多様な現実への迅速な対応こそ求められる。最適解は追求されるべきだが、震災対応のような時は、相手の満足いく解を迅速に提供することが必要なのではないか。私は、この記事を読んで、あらためてこの種のことは民間に任せたほうが妥当との意を強くした。

選択をする必要ができ、何らかの解決案がでたとしたら、それをどう正当化するか。行く末の不透明なときに、最終判断は多数決や選挙にて決めていく。これは市場に任すということに等しい。市場主義の行き過ぎは時として問題になるが、決められた結果として今の私達の生活がある。私は基本的には支持している。時として十分な議論なく、いきなり多数決としてしまうこともあるのは反省しなくてはならないし、少数派を抹殺することは許されない。

コンビニとよろずや

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コンビニ

昨日のブログを見直してみると、私は何と都市中心の考え方をしているのだろうか!と思い直した。ご批判もあると思う。

コンビニもあるので・・と記したが、関連してかつて「よろずや」というのがあった。私の子どもの頃に、その「よろずや」に何度か通ったことがある。しかし不機嫌そうな店の親父が、買わないのに来ていると、盗むなよ!というような追い払うような態度にて接されたのを思い出す。商品の入れ替えはなく、いつも同じだ。何の工夫もされていない古い商品が、薄暗い店にただ並んでいた。賞味期限(その概念も)の管理などはなかった(・・と想像する)。今でも地方に行けば、その手の店は少なくはなっているが見つかることがある。それと比べると、現代のコンビニは、多くの人の必要とするものがほぼ揃うのは嬉しい。商品陳列も大変に魅力的であり、私もバスが来るまでの時間つぶしに、世の中の最近の動きを知るために入ることは多い。

コンビニに限らず都市中心文化普及の現象のひとつなのだろうが、それは仕方ないのではないか。残るべきものは残る。そうでないものは、淘汰されていくのは当然ではないかと思う。より暖かな地で、穏やかにゆったりと、そこでの伝統を守りながら暮らすことができればと願っているのであり、都市的な生活を地方にてしたいわけではない。

田舎暮らし

昨 日まで何度か、ある地方都市に行ってきた。定年後は、田舎で暮らすことを考えている。かつてほど、田舎でも暮らしにくくはなくなってるのではないかという気はす る。コンビニもあるし、全国で共通な商品の品揃えもある。田舎といえども、近代的ライフスタイルの家族葬も認められてき始めている。その中で、私にとって はネットがつながることは重要だ。それさえできれば、選択肢は首都圏ほど多くはないとしても、やっていけるだろう。場所に関係しないで完結して回る生産的 な仕事ができるようになれば、さらに望ましいけれど、そこまではあまり期待していない。

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