ミスターbagnacaudaについて

「些 細な日常」が幸せのカギというのは、私のキーワードであるが、それは私のオリジナルではな い。今は活動していないようだが、bagnacauda氏は一時期に某質問回答サイトで大変に活躍していた人である。大変癖のある人なの だが、人間がでかい。いろいろと、彼の発言は時として問題を醸し出すのだが、言っていることはまともである。ファンが多いことは、それを 物語る。ファンは彼の真意を十分に理解することのできる人であろう。bagnacauda氏は上流階級の人だ。私も、抵抗を示してめして いた時もあるが、生き方が上流でない階層の人がくってかかるように私には感じられた。

今 では、私はその質問サイトをあまり訪れない。当時は、今度はどんな発言を するのだろうと外野で私もはらはらしていたものだが、彼は退場をくらったのか、発言がなくなり面白くなくなったからだ。その bagnacauda氏の言っていたことのひとつで、私にとって大変印象深かったことがある。それは彼の提唱する「幸せになるた めの能力」というものだ。その名でググルと出てくる。このような能力は、やはりあると思う。私はかつてはクリアできなかったが、 今は、そのココロが少しわかっている気がしていて、そこでそれと深く関連している「些細な日常」を愛しむを毎年のテーマにしてい る。

rurionohanaさん

私はそれほどのネットのヘビーユーザーではない。だから、たまたま私の見かけた時に目についた 私の注目している素晴らしい人を紹介したい。それは某質問回答サイトでみかけたrurinohanaさんである。

40代の女性で、大変な苦労人である。もっぱら回答者としてが多いのだが、心を打つコメントが多 く、言葉遣いも大変に巧みで、とても参考になる。うまくいく夫婦でのあり方、親子での心、その具体的対処方法など、人と人のココロを読める人 という感じだ。

それは、質問者から与えられるポイントを見れば一目瞭然である。
このrurionohanaさんは、私にとってネットで出会えた最高の人のひとりである。決して現実世界では会うことはなかったことと思 うし、今後もないだろう。もう一人、素晴らしい人がいる。それは明日紹介しよう。

ウェブ社会では一部の人、属性によって判断される

ここまでブログで記してくると、Miketoyも一つのブランドである。本名や写真に関して開示す るかについては、9/18のブログで記した。勤務先名までを明示している人も少なからずいる。私は、勤務先の代弁者でありたいと思っていない ので、ブログでもツィッターでも勤務先名を出していない。社員であって個人でしたことでも、勤務先の名前が出ると、本人の意図とは関係なく、 その組織に対する人々のイメージが形成される場合がある。それと関連して、ネットワークの匿名性に関する数々の研究発表もこのところよく見か けるようになった。ウェブサイトやそのネットワークの性格により、ユーザーの行動パターンは変わるようで、とても興味深い。

某質問回答サイトにて、別名にて私は以前に質問をしたことがある。親子関係に関してである。ヒントももらったが、私の属性に対して、激しいバッシングを受 け、大変嫌な思いをしたことがある。私はその質問サイトに投稿したことを、直後には深く後悔した。今では、それなりの収穫はあったのだと 思うのだが。私はその属性を持つ一般的かもしれない人とは違うのだ!と言っても、聞いてもらえない。情報は、ネットでは部分的にしか見え ていないで、誰もが少ない情報で相手を判断せざるをえないことは多い。私も類似の判断をしがちなので非難できない。

ともかく類似した一部の属性だけをとりあげて、その全体の人まで場合によっては、とばっちりがいき、風評被害を受ける。私の意図にかか わらず、私が職場への加害者となっていて、その言動が思いもよらないところまで広がる影響のことを考えると、行動することを躊躇せざるを得な い場合もある。確かに、何もしなければ、何も起こらない。そのような生き方もあろうが、そのような消極的な人生は私はごめんだ。

弱いものをイジメたい欲求は私たち人間の本性に持つ陰湿さののような心の一つの側面かもしれない。匿名的であればあるほど、そのような ことがネットの世界では極端に出るのではないか。できれば、あまり関わり合いたくない世界だ(中川氏の言う、ネットのヘビーユーザーにある傾 向そのものであった)。個人事業主ならば、積極的に名前や連絡先を出すことだろうが、私の意図しないことで勤務先を傷つけたくない。今後は、 不特定多数の人の書き込む場で質問をしたりはしないと思う。

ウェブ社会へ参加する人々

昨日紹介した中川氏はジャーナリストで、タイトルでもわかるように、過激で注意を喚起する表現が得 意そうである。中川氏はこの本でのまえがきにも明確に示しているのだが、対象はあくまで普通の人とバカな人と銘記してある。その現実は数々の 事例において示されていて説得力のあるものである。ただし、クラくなりたくて本を読んでいるのではないし、それを他者と共有したいとも思わな いし、読後に元気がでないのだ。

梅田氏との論点の相違は、ネットの世界の「玉石混交」に対する理解の相違で総括できると思う。 梅田望夫氏は例えば面白い人が一割いるとしたらと、仮定で記している。そんなにいるかどうかわからない。それより、はるかに少ないのでは と思う。とはいえ、いるところにはいる(それに関しては、後日記したい)。多分、均等には分布してはいないので、いないところには 1000人でも全くいないかもしれない。その数が少なくなれば、中川氏からは少数のおりこうさんだけのバラ色の限定された世界の話という ことになる。これは社会階層とも関係しているかもしれない。

私の狙いは「ウェブ進化論」の未来志向の世界を若い人たちと共有したかった。別 の学年で輪講を何度か試みたが、学生たちはウェブ進化論の話を人ごとの話のように受け止めているように見えて無理であった。そのよう な一部の人ではない普通の人を対象とした本ならば、多少自分に引き寄せて学んでくれるのではないかと思った。この本での学生の反応を 私は知りたかった。結局は同じだった。

学生たちが梅田氏のも中川氏の本の言いたかったことをきちんと理解してもらっているか不安 である。レポートを書かせれば、理解できているかの結果は一目瞭然でわかる。ひとことでいうと、読解力、いわば国語の話であるのだ が。著者から私自身への読解力不足のお叱りもあるかもしれない。だから、この手の書評的なブログをすると疲れるし、やはり私には向い ていないようだ。amazonなどへのニックネームによる書評や製品レビューならば、責任感をそれほど強く持たなくても済む。しか し、ここまで培ったmiketoyブログの蓄積が台無しになってしまう可能性もあるので今後は書評的なものはよそうと思う。

ブログの不具合

ブログは毎日書いているのだが、アップロードされていない。evernoteから自分宛のメールをposterous.comに送付すると、通常はすぐにブログが更新されたと返信メールが送られてくるのだが、この数日はこなかった。おかしいなとは思いつつ、そのうち正常になるだろうと思っていたが直らない。問題を問い合わせて解析中です。

 

**** その後

原因不明でエバーノートから送れません。手間は以前よりかかってしまうのですが、エバーノートを使わずアップロードしました。日付は、まとめてますので、同じ日になってしまいました。連続記録が途切れて、少しがっかり。

ブログの引越しをしようかなとも思ってきました。しかし300記事までは、このまま達成したいなとも思っています。

 

******** またまたその後

12/8頃から、突然直りました。Posterousの問題なのかEvernoteなのか未だ不明です。どこが不具合だったのか、エバーノートのJP Supportに問い合わせたものの、レスポンスなしで、若干不満です。

チケット #16051-41538

私としては今後、同じような事が起こらなければ良いのだが・・

ウェブはバカと暇人ばかりだろうか?

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ウェブはバカと暇人ばかりだろうか?

中川氏の「ウェブはバカと暇人のもの」著作(光文社新書)を1,2年ゼミのテキストとして輪読している。昨日はそのゼミだった。私としては著者の主張に全面的に賛同するわけではない。しかし興味深い切り口は、ユーザー層を賢い人、普通の人、バカな人の3層に分け、圧倒的多数と思われる下の二層に焦点をあて考察していることである。ネットの世界の現状で語られていることはネガティブトーンが多く元気が出ないが、実際はそんなものだとは思う。

私は梅田望夫「ウェブ進化論」(ちくま新書)的な未来志向の前向きなのが好きである。こちらは3年ゼミで使用していて、内容も深みがあるもので、ゼミのテキストとしても何度か使っている良本である。しかし、こちらは学生にはなかなか理解してもらえない。もっと手ごろな易しいテキストをと思い、この中川氏の本を選んだ。しかし著者の中川さんには失礼ながら、輪読するほど中味が濃いことはない。普通の人なら一度読めば十分に理解できる程度の明快な文章だ。とはいえ、この程度の読みやすい本ですら理解できない人たちもいる現実を思い知らされる。彼らを、バカな層と切り捨てるのは可哀そうである。それは強いものの論理ではないか。彼らには、出口がないのである。バカはのたれ死ねというのだろうか。この手の下流階層の自虐的本も良く見かけるのだが、それらは基本的に彼らに対する「愛」が欠如しているのではないかと思う。

大切に扱う車

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大切に扱う車

数日前に愛車のボディ水垢とり磨きと室内清掃の作業を済ませた。自分で作業をしたわけではないのだが、今年のプロジェクトの一つだった。当初は自分で作業をしようと思っていたのだが、私はあまりこの手のことは得意でない。疲れてくると、途中からいい加減になる傾向があり、最終的にはきれいにならないことは今までもしばしばであった(笑)。

そこで、馴染みの整備会社で車大好き人間のようなイケメンのあんちゃんにやってもらった。さすがプロである。雨水をシャープにはねて、また空や周りの景色をボディが鏡のように反射して輝くようになった。10年たった車だが、とてもそうとは見えずに何だか誇らしい気がする。違いは他者はわからないと思うし、当人の私ですら、それを意識しないとああそういえば奇麗だねという程度だろう。出費は二万円したが、十分値したサービスだと思う。

また、普通の人は、10年もたった車にはもはや車両保険には入らないだろう。しかし、私は入ってる。どんなに古い車でも、何かの拍子にヘコんだりしたら悲しいし、元に戻したいと思う。だから一万円近く自動車保険料は高くなるけれども、それは必要経費ということで手当をしている。私はこの車がへたるまで、乗りつぶすぞという宣言(目標は10年)である。  

駅のロータリーでの自己中

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駅のロータリーでの自己中

世の製品やサービスの流れは「自己中」を許容する世の中になっているようだが、それでは他者として困ることもある。
勤務先のある駅でのロータリーである。バスが頻繁にくるので、駐車禁止区域である。そのような状況にもかからず、自家用車を停車し、自らの子と思われるに少しでも歩く距離が少なく便利なように送迎する親の車が結構いるのだ。後続の車が待っているにも関わらず、もたもたしていて、待ち時間が長くなる場合もしばしばある。私は不満である。あまりに自己中すぎないか。それを周りの人たちは甘やかしてはいけないのではないかと思うのだが。私が後続の運転手なら、ブッブーとクラクションを鳴らすだろう。しかし、バスの運転手は、慣れているせいか、心が広いのか待っている。

子どもを駅まで送るのは良いが、もつと手前の停車可能なところで乗り降りをさせるべきではないか。私なら、子どもには、少しくらい遠いところからでも歩かせると思う。このあたりの認識の相違だろうか。自分一人くらい良いだろうという心だ。私も少しでも近くにという気持ちは十分に理解できるが、それはまずいと思う。そのような態度をのさばらさせてはいけないとすら思う。そのようなことをする人は、(日々の送迎風なので)常習者のような気がする。データをとっているわけではないから、証拠があるわけではないのだが。

少し観点が異なるが、自分の持つ資源だけでなく、公共的なものも無駄に使って欲しくはない(もとはといえば、税金で出ているのだ)。しかし、自分が支払うのでないとなると、とたんに使いだす人はいる。職場でのエアコンなどの電気などはその典型ではないかと思う。少ない人数しかいない広い部屋に、(一人でも)平気でエアコンをガンガンに回しっぱなしにする。多分家庭では、そうはしないと思うのだが(生活感覚のない人はするかもしれないが)。

言いたいことは、自分一人くらい良いだろうなどと思ってはいけない。そのつけは他の人にくるし、迷惑している。だからこそ、皆さんルールを守ろうというお説教である(笑)

ビデオオンデマンド

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ビデオオンデマンド

テレビは誰にとっても手頃な暇つぶしのための道具だ。それと関連するビデオオンデマンド(VOD)は普及しつつあるのだろうか。私は約17年くらい前に、そのVODの研究をしたことがある。多チャンネルでVODは、期待の星とは言われてはいたが、私は普及しないだろうなと思っていた。しかし、このところ定着しつつあるような気もする。私の使っているケーブルテレビでも、1チャネル分のVODのサービスが提供されている。追加料金はかからないので、時間の空いたときに使ってみると結構お手軽で使い勝手も良いレベルになっている。

今までのようにテレビ番組時間表を気にしないでよい。夢中になつているテレビの視聴中でも、ドアベルが鳴ってお客さんに対応しないといけないことがある。また、電話がかかってきて対応せざるをえないなどの「割り込み」もお構いなしに入ってしまうことがある。番組は止められないのでその間の対応しているの間のストーリーがわからなくなることがしばしばあり、悔しい思いをしたことがある。VODがあると、そのような割り込みは入ったとしても、一時停止ができる。自分が放送局の放映時間に合わせて行動しなくてすむのは快適だ。時間の有効利用ができるし、まとめて連続して見ることができれば効率も良い。
すなわち、放送局という相手に自分をあわせるのではなく、自分の都合の良い時間にサービスを要求するという自分中心の形になつていくのだろう。そのための回線のスピードの高速化をはじめとする情報技術の進歩もあり、また価格帯もリーズナブルな範囲になってきたこともある。操作をリモコンのキーボードでやるのは、私はゴツゴツした感じで好きではない。しかし、これも改善されていくだろうから、VODは確実に普及はしていくことだろう。

考えと態度の2軸による類型化

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考えと態度の2軸による類型化

私の父親は合理的な「考え」をする人だった。私もその影響を強く受けていると思う。父親とは会話をあまりしなかったにも関わらずである。私たち親の子どもたち3人は、皆合理主義を尊んでいると思う。論理を語りはしなかったが、筋が通っているのを支持したのだと思う。それはそれなりのコンテクストがあったからそうなったのだが。母親に関しては非合理主義だったかもしれない。
一方、父親の節々にあらわれる言動があった。それらを「態度」とくくるならば、父は保守主義であったと思う。母は、逆に態度は行動的だったのではないかと思う。
その二つの「考え」と「態度」をそれぞれX、Yの軸として分類すると、組み合わせは四つである。私は考え方は父親からの合理主義、態度は母親からの行動主義を受け継いだかもしれない。実際の世の中の人々は、圧倒的多数の中間派がいるので、超単純化した類型モデルとなるが、その象限のカテゴリーにシャープに入る少数派のひとりであろう。ソロスのオープンソサイエティとどこか似ているかもしれない。

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