残り湯の有効利用

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残り湯の有効利用

省エネを目的とするなら「湯たんぽ」は大変に有効と思う。我家は2年前の冬から本格的に利用している。お風呂に入った後のお湯を、湯たんぽにつめるエコ生活である。最初は湯たんぽ用に、別途に熱湯を沸かしていたが、それでは熱すぎたりで温度調整か難しかった。今ではあえてお湯をわかしたりせず、40度近くのお風呂のお湯のままで使う。やや温いかもしれないが低温火傷の心配はない。昔のトタン風の湯たんぽとは違って、素材の改善や使い勝手の工夫などの進歩もあり、朝まで結構暖かいままである。所詮、お湯は最後は流すことになるのだ。

我家の水道料金は月に2800円近くである。毎日の風呂の残り湯は、当初は入った日に洗った後に抜いていたが、今では洗濯にも使っている。月に400円くらい、年間換算で5000円の節約になる。洗いとすずきの一回目の使用だが、洗濯物の汚れの落ちが良いなどのメリットもある。既にこのようにしている人も多いとは思うが、おすすめである。 

分散すると使い勝手が悪い

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分散すると使い勝手が悪い

エネルギーソースを分散すると、リスクは分散されるというのが、鉄則だ。卵を同じかごに入れれば、こけた場合に壊滅的被害になるので避けよという話だ。それからすると、お湯を沸かすのはガス、暖をとるのは石油や薪ストープが良いかもということになるか。そうはならないと思う。オール電化にすると、基本料金が下がるし、災害後の復旧性も高いと言われるし、何といっても利便性が高い。前回述べたように、今日ではかつてと比べると電気を使いすぎの傾向にある。政府のその方向への促進政策も成功した成長戦略にて、原子力発電が必要だというロジックになったのだと想像する。

エネルギーとは別の分散の話だが、私の母親が貯金を分散させると泥棒に入られても見つからないので良いのだと、昔しばしば主張していた。確かに他者には、容易にどこにあるかは確かにわからない。問題なのは、自分自身までわからなくなることだ(笑)。新聞紙の間とかに入れていたりしていたこともある。だから、私が新聞をまとめてゴミで捨てた後に文句を言われたような記憶がかすかにある。でも自分自身も忘れていたら、被害はないと思うのだが(喜ぶのは支払いを請求されない金融機関だ)。プリペイドカードもそうだが(私ももう使わないバスの回数券とか沢山あった)、事前に支払いをして、残額を使用していない埋蔵品が、世の中でもあちこちにあるのではないか。

冬の節電対策

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冬の節電対策

この冬も節電の意識が高まって、関連製品の売れ行きも良いという。電気を節約というわけだから、悪者は「電気」である。電気を使わないでガスを使おう、いや灯油が良いのだ、薪ストーブをということも言われている。我家はオール電化だからいうわけでもないが、そうでもないだろうと言いたい。最も優れているエネルギー源を探すことも必要ではあるが、次なる代替案に安易に乗り換えないほうが良いのではないか。それをするなら、その資源は本当に優れているのかをきちんと評価した上で選択したい。さもないと、後になって役立たずのグッズであふれかえることだろう。私は、問題はあるものの、電気は最も優れていると思し、それが太陽光をはじめとする自然なエネルギーのままで賄えれば素晴らしいと思う。自然エネルギー利用の普及が進めば、世の中のエネルギー問題が一挙に解決するかもしれない。

私は歴史を詳しく調べてはいないのだが、電気の最初の必要性は灯りから発祥したのではないか。灯りで使う電気も、ろうそくやランタン、蛍の光、窓の雪の拡張的なものだったろう。夜になっても昼と同じように活動できるような明るさが得られることは画期的なものだったと思う。電気の消費量が増大している今日だが、そのような灯りが原点だったのではないか。お風呂のお湯を沸かすとか、調理するのに使われるIHの出現は最近で、別の代替案までを吸収して消費量が増大してきたのだろうと思っている。

他にもやってみないとわからないこと

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他にもやってみないとわからないこと

パートナーと暮らすということも、やってみなければわからないことだ。日常で共同生活をし始める前に、多くのことを話し合い、間違いがないか確かめ合う。それでも、わからないことは数多くあるだろう。最後はやはり、一緒に暮らしてみないとわからないのだ。

そのわからない未来に対しての他者からのアドバイスを受け、素直に信ずるかどうかは各自の判断である。その他者は、経験者かもしれないし、売り込みをはかる営業マンかもしれない。誰からのアドバイスかにもよるだろうけれど、反発するくらいなら、あえて聞かないだろうが。黙っている人とは、他者に対して少なくとも開かれていないわけで、不信感を持っているのかもしれない。

やってみてやはり他者のアドバイスを聞いておけば良かったというようなつけは、前に述べたように我家に関してはある。新築後に何度もリフォームをして大枚を払っている(笑)。とはいえ、言われた通りしなくて正解だったことも決して少なくない。したがって最終的には、どちらが良いともいえない中庸な世界である。そこでのディフォルト値としての「一般的信頼」をどちらにおくかということなのではないかと思っている。
私は天の邪鬼なのだろう。このことを前向きに表現するならば、ものごとを批判的に見る能力が高いというわけだ(笑)。これは大学教員の特徴でもある。研究をするということは、過去の他者の研究を批判して、自説の優位性を説くのである。それは、その世界では良いのかもしれない。私はそうはあり続けたくはないので、他者を信じて暮らしていきたいと思う。

メガネと目の相性

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メガネと目の相性

白内障の手術をしてからメガネを作り直した。3ヶ月経ち、視力が安定してきたので、再度処方箋をもらって作り直し、できあがったのが先週だ。眼科医のアドバイスもあり、眼内レンズは近距離焦点用とした。テレビは見ないで新聞やパソコンを中心だということにしたのは正解だったと思っていたが、実際生活をしてみるとそれほど裸眼では暮らせなかった。パソコンは文字がシャープに見えないと疲れるから、やはり中距離相当だそうな。テレビも見ない予定だったが、字幕など見えないと、結構フラストレーションがわく。電車にのって、駅名を確認したり、時刻表を見たり、周りの人の様子を見たりするのは中距離だ。学会発表でのプレゼンテーションを聞いたり、パワーポイントのスライドを見たりするときに、やはり見えないと辛い。スーパーでの値札を見たりするのもそれだ。人の顔の様子を見たりするのも中距離だ。近距離を見るときは、意識するのでそのときはメガネをかければよいということに今ながら気づいたが、手遅れだった。遠距離が見える必要は、今でもあまりない。買い物のときの運転のときくらいだ。
とはいえ、中距離を見やすいようにしたらしたで、今度は今できている近距離が見えないのが不満になるだろう。自然な裸眼で遠距離・中距離・近距離が自動フォーカスで見えていた本来の自然な目の見る力は、本当に素晴らしく良くできているしろものだと思う。ここでの教訓は、頭で想像しただけでは限界があり、やはり「やってみないとわからない」ということであった。

玄関リフォーム

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玄関リフォーム

先月に玄関をリフォームした。玄関ドアを開けているときは明るいのだが、締めたとたんに真っ暗になっていたのである。一般的な家の玄関で、玄関を吹き抜けにしていない限りは電気をつけないと暗い家は多いように思う。靴を脱いだり、ハンコを探す、ちょっとした字を読むときなど、昼間でも電気をつけるのはあまり気分が良くない。その点をあるリフォーム業者さんに相談したら、壁をぶち抜いて明かり取るというアイデアをもらった。その線で実現はしたものの、当初想定していたように明るくはない。確かに多少は明るいのだが、そのために投資した金額に値したかというと、少しがっかりである。

モデルでのシミュレーション(実験)ができれば、事前に評価ができ失敗は少なくなる。現実とその構造がよく理解できていればモデルに組み込める。しかし、現実の自然法則の解明は未だ困難を極めるものも多い。今回の場合は、1日のサイクルでどのような角度で光が変化し、また使用する材料での光の透過率はどのくらいかということ。それらに関して、イメージでこうなるとサンプルの材料は見て想像しただけだった。もし、家具を手作りで作ってみたけれど、その場所に入らなかったなどとなれば最悪だ。きちんと長さを測って、搬入のことなども含めて、きちんと計画してシミュレーションすれば、トラブルは避けられる。しかし、やはり明るさの類はやってみないとわからない。試みて期待通りでなかったからといって、元に戻すことはできない。このような壁のぶち抜きの類のものだと、論理的に考えてこうなるはずとしても、実際にやってみないと難しい面もあるのだろう。

性悪説でした家作り

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性悪説でした家作り

家も性悪説に基づき建てたのだろう。ハウスメーカーの営業は必要性のないものまで売り込もうとする。だまされないようにしなくてはいけないというのが、親からプログラムされたことだ。家の窓の設計(デザイン性と機能性)などでそれはあらわれた。彼らは、標準的な窓にするのが普通ですよと言った。私は、それを信じられなくて、そのアドバイスを無視し、デザイン性を優先した窓にした。実際に生活してみると、その営業マンのいっていたことは正しかった。やはりいろいろとやっている経験者に対しての敬意がなく、この人は利益率の高いものを売り込もうとズルをするのではないかと疑っていた結末がそれであった。

そのような態度は、相手には通じるだろう。相手は、商売だからやっているが、それでは、最後のひとはだ脱ごうと言う気はおきないかもしれない。この最後のひとはだというのがクセモノだ。結構、仕事をしていて微妙な判断をせざるを得ないことがある。そこは、このひとはだで、押し込める余地がある。好意を抱く人に対しては、苦労をするのを厭わないだろう。

親から譲り受けた性悪説

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親から譲り受けた性悪説

私の親は、世の中は敵であり、油断していては相手から騙されるという性悪説の世界観を持っていたと思う。だから私も、その影響を受けている。また、お前はだめなやつだとも言われて育った。それには反発して、自分なりの位置を保った(でも、時々、やりどころのないときに自分自身の不注意による結末を強く責めることがある。そういう時は要注意だ)。世界への貢献に関しては、家庭ではあまり学ばなかったし、学校でも学ばなかった。貢献とは胡散臭い言葉だと思っていた。また、鈴木健二の「気配りのすすめ」がベストセラーになり、父親から薦められて読んだ覚えがある。煙たいお説教だと思った(今でも、そう思わなくもない)。会社に入って、それなりに会社への貢献は求められたが、息苦しかった。社会で数十年勤めて、やっとこんなことかなということを学んだ。やはり、学校ではたいしたことを学んでいないということだ(笑)。

この年になって親のせいだなどというつもりはない。しかし、無力な子どもは親からの絶大な影響を受けざるを得ない。その環境をどう解釈して変革するかしないかは、ご本人の決断である。だから18を超えた大人の年齢になれば、それを含めて自分の責任ということになる。親と違う生き方をするのも自由、親と同じ生き方をするのも自由である。何も考えないということは、自ずと後者になる。その数は大変多いと思う。

私は自分の子どもたちと、私の親とほどは長く一緒に暮らしていない。だから、どの程度私の世界観を理解してくれているかわからない(おそらく、理解してくれてはいないだろう)。私は親をある面では反面教師として親の背中を見て育った。一方、のびのびして育ちの良く見える人は、親の大切とする価値観を素直に受け継いでくれているように見える。そのような親子関係であるひとは、大変にうらやましい(妬ましいわけではないけれど・・(苦笑))

お金儲けのセンスのなさ

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お金儲けのセンスのなさ

 リーマンショックのような世界規模の金融危機や、国家自体が破綻する可能性のあるヨーロッパの金融不安も現在ある。これらグローバルな問題により、私だけではないが大損をした。ハイリスクハイリターンを好む人もいるが、前回述べたように私はローリスク・ローリターンで良しと考えている。私よりさらに手堅かった亡き親も株で大損をしていたが、私も同様に今までに多大な損失をしてきた。証券会社に運用委託した株も、この9月に大損のもとに売却することとした。投資信託も大損だ。一番大きなのは、外貨の定期預金の為替差益で大損だ。さらに、某証券会社がローリスクローリターンだという私に強く薦めたのが、絶対に手堅いといっていたノルウェー輸出金融公社債である。その格付けも、ムーディーズにより、Aa3からBa1に格下げになったという。ヨーロッパ全体の金融不安も影響しているのだろう。これほどのローリスクはないといわれて購入したこの社債も、この顛末で、今後どうなるか不透明だ。
銀行や証券会社は調子の良いことばかり言う。インフレのリスクとか、右肩上がりのことしか言わず、このごろになって強調するようになってきたが、為替変動のリスクなど不都合なことは隠すので気に食わない。企業と接するときは、基本的には性悪説で批判的な目で見ていかねばならないと思う。太陽光発電のように、どれだけ得をしたかを計算するのは嬉しいが、株をはじめとする金融資産がどれだけ損をしたかはクラクなり計算したくなくなる。ともかく、私の家系は、お金儲けのセンスはないのだろうというのが結論だ。

金融資産は守れるか

お金の使い方の教育が重要といわれていて、一部の小学校でも何らかの形で展開されているようだ。私もお金に対する教育をすることは 賛成なのだが、金融機関の提供するロジックを導入するのには反対である。金融機関は人々のお金をいかに吸い上げるか、企業であるからしかたな いのだが、その発想である。だからというわけでもないのだが、金融機関に対して不信感の世界観を持っている。リーマンショックや地震による想 定外の被害のリスクには保険で補うのだそうだ。となると、保険に加入しなくてはならない。どうもこのあたりの、利用者に払わせるロジックが私 には受け入れがたい。話をしていると、根本前提が異なっているようで、お金をなんとか金融機関に預けさせようと躍起にやっている姿勢が見え、 不愉快になる。

いろいろ考えたが、私の残りの財産は国内定期預金中心で生きていくことにしている。パスポートも(多分)更新しない。外貨はもはや必要ない。 目減りしてでも、タンス預金の方が良い(しかし、我家のタンスにはない。念のため。泥棒対策を兼ねている(笑))。
私にはゼロになってよい余裕資金は全くない。ローリスクローリターンで良いので、元本割れはしないでほしい。これは収益を求めて、元本割れを 何度もしてきた教訓である。対策としては、基本的には月々の運用の費用を平滑化すること、運用は収入にあった支出をするということなのではな いかと思う。すべて使う予定のあるお金なので、完全に守りのモードではある。少なくとも私はローリスクローリターンを貫徹して残りの人生を過 ごしていこうと思っている。

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