冬の花木

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冬の花木

冬のこの時期は花が枯れてきて、鉢花が寂しくなる時期である。色味がないのは寂しいので、ビオラ、八重咲きジュリアン、ストック、ミニ葉牡丹が我家の庭に彩りを添える。写真左手が今はそれほど見栄えがしないがパンジーポールである。その右側のセンサーライトのポールのさらに右には、今や我家のシンボルツリーとなったドドナエアがある。その赤銅色は大変美しい。その足もとにストックとジュリアンが植わっている。私が関心のあるのは、今年の地植えや鉢花の花木が今のまま冬を越せるかどうかだ。来年も芽を出して花を咲かせてほしい。しかし、宿根草といえども、寒さに弱い。かといって、家の中にまで入れるのは、よほどの事がない限り避けたい。本格的な冬越しは始めてなので、ぜひ成功させたい。
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クリスマスディナー

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クリスマスディナー

一昨日の夜のクリスマスイブのディナーの写真が下記です。写っているメニューは、具だくさんミネストローネ、お刺身カルパッチョ、ナンプラーを隠し味のローストチキン、おむすびピラフです。なお、写真にはありませんが、岩柳さんのクレームキャラメルショコラノエルのパティシエケーキがお取り寄せのデザートメニーでした。
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ちなみに今日のクリスマス・ディナー(笑)は、サンマの塩焼き大根おろし添え、ほうれん草のおひたし甘酢醤油、カボチャの煮付けなり。

季節外れのペチュニア

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季節外れのペチュニア

もう通常の花期の終わってしまっているペチュニアが、今でも咲いている。あまりシャープな色ではないので目立たないけれど、葉もしっかりとつき光合成をしている。玄関脇で雨に直接かからない好条件となっているせいかもしれない。本来的には多年草のようなので、もしこのまま冬を越せたら、命のリレーができて素晴らしいなと思う。他の花は、このペチュニアに限らず残念ながら全滅しているから。冬の寒いときに冬越しをして、夏の暑いときも夏越し、厳しい四季を乗り越えて、また1年、さらに1年と過ごしていくところに日本の風情がある。それが、最も良く見られるのが花のようだ。
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天気予報外れ

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天気予報外れ

昨日はほぼ1日、多少の遠出で郊外のアウトレットに行ってきた。私はブランド品は全く興味がないから、ただの運転手としてである。それはさておき、昨日の私の地域の天気予報は、一日中晴れの予定だった。朝は曇っていたのだが、布団を干して出かけた。しかし、夕方まで一日中冷たい北風の吹く寒い曇りで、冷たくなった布団にはかわいそうであった。

H気象予報士は、言い訳がましい。前回の予報のはずれたことを謝らない。「なぜこうなったかといいますと・・・」といいわけばかりである。なぜこうなったか(決して、なぜ予想が外れたのかとは決して言わない)、など私は聞きたくもない。ほとんどの素人は、気象理論などを知りたいわけではない。低気圧が居座りとか・・そんなこと、どうでも良いのだ。知りたいのは、高い精度を持った明日の天気の結論だけなのだ。一昨日も、気温は暖かくなるはずとのことだったが、全然そんなことはなく寒い日だった。国民の税金から捻出された気象衛星やスーパーコンピュータに巨額な経費を使いながら、この程度かよといいたくなる。

もう少し、利用者の観点で天気予報を組みなおしてほしい。自分の今の土地と出先の天気がわかればよいので、同じような情報の冗長で中途半端なものを繰り返す必要はない。いろいろと注文はあるとはいえ、昔よりはよくなった。時間空間的な広がりを理解できるようになったからである。昔は明日の大ざっぱな地域での天気だけだったのではないか。地域別の天気の鳥瞰図的な視覚化、一週間後までの長期予報、三時間ごとの天気の移り変わり、さらには湿度や風向きまでの細かな所までの予想はできなかったわけだから。天気予報の範囲は、より広範囲に広がってきたのであるから、同じ土俵にて批判するのは大人げない。

言いたい事の一つには、天気予報が外れる事も、ポジティブな方向の変化ならば不満は少ないのではないか。逆に、ネガティブな、例えば晴れと言っていたのに雨が降って傘を買わなくてはならなかったとか、暖かいと言っていたので薄着にしたが震えたとかの場合に問題になるのではないか。このようなことを言うと、きっと気象予報士は、安全を見てクレームのつかないような控えめな天気ばかり言うようになるかもしれない。そうなってしまうと、それはそれで困ったことである。

家政婦のミタ

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家政婦のミタ

昨日の日本経済新聞の夕刊の記事でまでも、「家政婦のミタ」の最終回の視聴率が40%近くだったと出ていたので驚いた。話題のドラマなので、私もはじめのうち数回を見た程度で、何が面白いのか全然わからないままの最終回だった。松嶋菜々子さんの笑顔はすてきだ。その魅力的な笑顔を見たくて番組を見ていた人も多いのではないか。「全部脱いで!…承知しました」、ええーっ!松嶋菜々子が!?と想像して(笑)、みた人もいるかもしれない。先週終わった「南極大陸」も最終回を見た。キムタクの演技はクサいながら格好いい。しかし、こちらも何も得るところはなかった。
俳優の格好よさだけが視聴率を決める。バラエティ番組は瞬間に楽しければ良い。中身の良いテレビ番組は少ない。表面だけ取り繕っていれば良いので、中身を大衆は求めていないのかもしれない。娯楽の道具といえるテレビだから、しょうがないか。ネットもそうなのだろう。

気遣ってくれた人の存在

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気遣ってくれた人の存在

年内最後の教授会が昨日終わった。年内の私の担当授業も終わり、すべきノルマを終えた年内の最終出勤日で、今はリラックスである。さて、理不尽なことをおかしいと主張する人は必ずしも多くはない。二ヶ月前に私は勇気を出して、その場で意見したが、私が意見したことを人々は忘れていくだろう。しかし、私にとっては忘れられないことだ。なぜなら、私の近未来の約5年の行方をがかかっていたからである。確かにストレスは、時間とともに和らいでは来ているが、決して解消はしていない。足を引っ張った張本人とおぼしき人を見ると、やはり腹が立つ。いつか仕返しをしてやるーー(笑)と思わないわけでもない(大人の対応なので、もちろん行動することはないが)。

職場でも7人くらいの人が私の主張や気持ちを理解してくれて、何らかの声をかけてくれた。嬉しいことだ。自分も意見を言おうと思ったのだが、自分の昇進もかかっているので、その場での発言を控えたけれどというような人もいた。その人たちの気持ちは十分に分かる。私は、今は失うものはない。だからこそ、言わねばならないことに関して意見をいうことができる。また、たとえクビになっても何とか生きていける見通しがあるので、居直ることができる。だから、この間に少なからずの応援してくださった方々に心から感謝したい。

私は派閥的なグループの集まりを否定していた。このようなグループ分けを派閥というのなら、決してつるんでいるわけではないのだが、やはり私は反ファシズムのリベラル派の派閥に属していることになるのだろう。孤軍奮闘であるとつらい。誰からもレスポンスがないとするなら、やはり私の考えは偏りがあることになる。考えてみると、声をかけてくれた人々は意見を表明する人で、私からみても民主的な態度を持つリベラル派と見える人たちだけだ。保守派の人たちは、その仲間通しで固まって、忘年会などの席で、あいつらは仕方のないやつだなと批判をしていることだろう(笑)。

電灯をつける

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電灯をつける

窓側にある私のデスクでは十分に明るいから、研究室の電灯のための電気はつけない。ドア付近は暗いせいもあるので、「電気つけないんですか?」と同僚諸氏から良く言われた。このごろは言われなくなった。いつくるかわからない人のために電気はつけたくない。私は人間的には明るいのではないかと思うのだが、別の意味にてクラいやつだと思われているかもしれない(笑)。

自宅の常夜灯に関しても、微弱な電気だとはいえ、同様につけっぱなにしにするのは少し不満なので、消すことも多い。話を戻して、高学年のゼミは研究室で実施するため、学生の来る前には電気をつける。一方、これから年明けの期末試験前後は、入れ替わり立ち替わり、四年生ばかりが研究室に泣きつきにくる季節である。勉強の質問と言うことはまずないので、私は電気をつけないで待っている。

寒い日でも16度あれば何とかしのげる

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寒い日でも16度あれば何とかしのげる

夏のエアコン設定温度は28度で良かったが、冬では何度必要か。20度にしようなどとのキャンペーンもあり、その他の提案もあるとは思う。私は普通の人より、寒暖の耐性は強い方であるので、割引いて理解してもらいたいが16度程度で良いと思う。
 自宅でのエアコンの設定温度は16度の省パワーモードである。確かに朝は寒いが、ほんのりと暖かい程度は十分に満たせる。あまり同じ場所で長居しないせいだと思うが、この程度が維持されていれば私には最適だ。この1,2週間で、私もやっとエアコンをつけ出した。エアコンは長時間いる場所の暖房としては効率的だが、短時間の滞在でしかも大部屋だとメリットは少ないのではないか。
 自分が支払いをしない職場のオフィスで野放図にエアコンをかけっぱなしにするのはいかがなものかと私は批判している(笑)。私は研究室でもあまり使っていない。したとしても温度設定は20度だ。昼間は16度でデスクワークをしていると結構寒い。やはり、徐々に慣れてくると、底冷えはあるのだろう。寒いと感じるときは、一時的に25度くらいにはあげたりすることもあるが、後にはもとに戻す事にしている。

いずれにせよ、暑さも寒さも、相対的なのではないかというのが私の主張だ。寒いときに少しでもそれより暖かいと、ありがたく感じる。絶対的、客観的な感じ方というのはありえないのではないか。湿度も関係していると言われるが、夏では25度ですら、寒く感じていたのだ。今の冬近くでならば、その温度では暑すぎど感じる人も多いだろう。人間は以前のことは都合良く忘れるようにできているようだ。現に、昨年の寒さなど、だれも覚えてはいないだろう。気象庁などに記録されている数値であらわされているデータだけが頼りだ。

太陽光発電のモデル再考

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太陽光発電のモデル再考

太陽光発電の売電収入は課税対象になるという。そうなると、以前に提示した損益分岐点は大きく変わってしまう。
太陽光発電システムに200万円投資したとしよう。年間20万円ずつの価値が生じて、その金額が戻ってくると仮定すると、10年でペイするというモデルだった。これが、そうはならなくなるのだ。売電収入の年間20万円の2割が税金で取られるとするならば、収入は4万円減で16万円となる。すると、200/16=約13となり、ペイするのは13年先となるわけだ。11年目時点では、200 - (16 * 10) = 40 万円分は、まだ支払超過である。200万円持っていたときは、それ自体に税金はかからなかった。しかし、このような投資をした途端に、分割戻り分には税金がかかる。本筋とはずれるが、とりやすいところから税金をとるという不公平感を感ずることは時としてあり、理不尽さを感じる話である。
さて、実はもうひとつ落とし穴がある。今年度導入した私の場合は買取金額が1KWあたり42円だが、これは徐々に減少し、最終的にはなくなる。42円が保証されているのは10年間のみである。11年目からは買取金額規制がなくなると想定するのが妥当であろう(それでも購入するのと同じ値段では売れるとは希望的に想定したい)。大ざっぱな話だが、11年目以降での年間売電収入は20万円から半減し、約10万円となるわけだ。そこでまた税金を2割引かれると8万円となる。40万円の超過払い分を毎年の8万円で割るとさらに5年後、すなわち15年後にもとがとれることになる。
さらにリスクがある。その頃には、太陽光発電システムの一部をなす太陽光モジュール(10年保証)もパワーコンディショナー(10年保証)やモニター(2年保証)の保証期間はとうに切れている。この間に、パワコンが壊れるとこれまた(1回で済めばだが・・)約40万円かかる。40 ÷ 8  =5 で、さらに5年なので、20年が損益分岐点となるわけだ。そうこうして、あっちも壊れ、こっちも壊れてとなるとと、生きている間にもとがとれるかどうかすら怪しくなってくる。

損益の数字だけで冷徹に捉えるならば、太陽光発電は環境に優しいエコな生活をしているという自己満足の世界に見えるのかもしれない。

どちらがお得か?

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どちらがお得か?

テレビでは、床暖房と電気カーペット、エアコンと石油ファンヒーターのどちらがお得かなんていう番組をやっている。 途中経過はともかく、結果を知りたいのだろう。私も急ぐときは、あまり細かい事は考えないで「結論だけ」を知りたい時も多い。

教育をしていて思うのだが、考える力のない人に、その傾向は顕著である。それだと、つまらないだろうし、試験のときなど辛いだろうと思う。そこに至るプロセスが重要なのだと思う。それができるようになれば、別の問題に対しても筋道を追って考えることができる。応用問題である。温水便座でお湯でお尻を洗うのがよいか、使わずに紙だけで済ますの良いかなども、その番組ではやっていた。

これらの結論は、モデルの前提次第である。太陽光モデルでもそうなのだが、前提が変われば結論も大きく変わるのだ。その前提に従って、妥当な仮定をおいて、自分の抱えている問題に適応していく。すなわち自分の家の環境での場合の特殊解を解くというわけだ。一般論の結論を知ったところで、自分の抱える問題の解決に役立たなければ、意味はない。その応用できる力を育んでもらいたいと思っている。でも抽象的に考える事のできない人には、無理かなとも思っている。

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