親が子にもたらす影響

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親が子にもたらす影響

父親と良い関係を築けた娘は、良いパートナーに恵まれ、幸せな家庭を築けるだろう。
父親と良い関係を築けなかった娘は、良いパートナーに恵まれないかもしれない。
母親と良い関係を築けた息子は、良いパートナーに恵まれるだろう。
母親と良い関係を築けなかった息子は、良いパートナーに恵まれないかもしれない。
仲の良い両親のもとで育った子どもたちは、将来仲の良い夫婦に育つだろう。
仲の悪い両親に育った子どもたちは、仲の悪い夫婦になるかもしれない。
何かそのようなオーラを発しているのではないだろうか。本当にそれらに因果関係があるのかどうかは定かではない。サンプル数での裏付けはそんなに多くはないし、明確な根拠も伴っていないのだが、私はそんな気がしている。

センター試験監督

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センター試験監督

昨日と今日は大学入試センター試験の日である。その内容というよりも、運用する側のシステムの話をしたい(運用・支援する組織にとっても、本当には必要ではない保険仕事の場合もあり得るだろう)。
今回も私は試験監督をするように要請された。正直、割り当てられるから出向くのだが、本音ではやめてよと言いたい。終わった後は体力的にも大変消耗するのだが、日当いくらかのお金はもらえる。そのお金をめあてに、やりたい人もいるのかもしれないが、私は(その分を減給されたとしても)遠慮願いたいくらいだ。私が同僚に数人聞いた範囲では、本当はやりたくはないという人が多かった。

試験監督のような仕事を、大学教師がやる必要性があるのか。その必然性は全くないと思う。責任感と良識、チームプレーのできる人ならできる。大学教師がそれに適合する人とは考えにくい(笑)。それこそ仕事がなくて困っている方で、その条件を満たす人に提供しうる仕事ではないかと思う。私がもし職がないと状態と仮定すれば、二日間の割の良いアルバイトとして喜んで携わらせてもらいたいと志願するだろう。しかし、そのような私が必要とする時に、この職にはありつけないだろう。うまく世の中でワークシェアリングできないのかなと毎年思うのだ。

センターの体制は、おそろしく官僚的である。判断は基本的にすべてセンターにお伺いをたてろということになっている。微妙な臨機応変な判断などは現場では必要とされない。そして、万が一のための保険要員が結構いる。手当をわたす人件費だけでも、莫大な予算をかけているのではと思う。これらが税金として賄われている。

温室風のテラス

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温室風のテラス

これだけ寒いと前庭花壇は霜が降りている。写真の我家のテラス(下記写真)は、温室のような見えるが、ガラスは単ガラスである。したがって、、雨風よけ程度で、寒さ暑さはほぼそのまま透過する。それでも地表面より高いので多少条件は良い。見えにくいかもしれないが、ゴールドクレストの脇に彩りを添えている八重咲きジュリアンが可愛い。昨年は外で枯れてしまったオリヅルランも何とか生き延びている。何といっても鉢だと移動できるのが、地植えと比べたメリットである。多少暖かくなるまでは、鉢花の特等席としておきたい。二月後半からの花粉の舞う季節は、この場所は布団干のスペースと変わる。
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仕事の忙しさ

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仕事の忙しさ

同僚のある先生が、いろいろな雑務があって忙しくて死にそうだといっていた。他にも似たようなことを言う先生もいる。前の大学で、私が会社員出身だというと、「大学と会社員生活とどっちが忙しいですか?」と問われた事がある。暗に、「大学のほうが忙しいですよ」という返答を期待していたのだと思う。

私に限って言えば、全く忙しくない。こんなに自由にできる世界は、企業人からすると天国のようなものだ。どのような職場であれ、いつもいつも忙しい忙しいと言い続ける状況に至るには、いろいろな理由が考えられる。仕事の優先順位がつけられず、仕事の要領が大変悪くなっているのだろうと想像する。

それは共同作業をする会議に同席してみると、すぐにわかる。忙しいとは、自分で決められないから保険仕事をせざるをえないのだろう。誰かがリスクをとることをすれば、仕事は減るのにと思う(それは通常は責任ある地位にある人である。必ずしもトップである必要はない)。集団無責任体制の組織であると仕方ないのだが。管理能力のない人が管理者をしているということもある。担当者の事務処理能力が著しく欠如している場合もある。集団無意識としての文化もあるだろう。

しかし、それでは楽しく仕事はできない、少しは「やり過ごすこと」を検討したらどうかと思う。私にアドバイスを求められればするが、余計なおせっかいはしないでおくのが平和に暮らすための大人の作法である。

昔の人は忙しかった

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昔の人は忙しかった

今日はこの冬一番の寒さのようだ。寒さの厳しい時に、熱いお風呂に入れることは大変ありがたい。そのお風呂に入るときに、いつも思うことがある。スイッチポンでお湯が設定した適温のお湯が出てくる、なんと素晴らしいことかと。若い人はあたりまえだと思うかもしれない。私の子どもの頃は、お風呂をわかす仕事は小学生だった兄と私の仕事だった。新聞紙を丸めてマッチをつけ、木をくべて燃えてきたところで、石炭をころ合いを見て入れる。うまく石炭にまで着火しないと失敗だ。なかなか大変な仕事だった。熱すぎたり、ぬる過ぎたりで適温に調整するのも大変だった。うまくいかないと叱られたものだ。ご飯をたくのだって大変だった。炊飯器にご飯と水を適当に入れて、あとは炊飯のスイッチポンではすまない。洗濯だってそうだ。洗濯板でゴシゴシやっていたのだ。これら仕事の上に、子育て役割を主に期待されていた主婦は本当に忙しかったろうと思う。
今の世は、殆どのことがスイッチポンで可能で楽になったのは事実だろう。楽になって、何をしているか。誤解を恐れずに言うと、遊んでいるのである(主婦だけに限らず、家人全体を言っている。)。さんざんテレビを見て、あげくのはては、ネットでいじめる対象はないかを探して、そして暇つぶしをしている場合も少なくないのではないか。ご本人は(その種の暇つぶしは必要時間と思っているので)、忙しくてほかの事が(本来すべき仕事まで含めて)できないという。困ったことだ。

外構工事から1年

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外構工事から1年

1年前の今頃に外構工事が完了した。あれから1年、色がくすんで床面など見栄えがしなくなってきている。家も5年以上たつのでなおさらだ。言い過ぎかもしれないけれど、ご近所さんの新築の家の外壁なども同様に見える。風雨にさらされ、当初あった「輝き」がなくなってきている。前向きに言うならば、それだけその場にしっくりとくるようになってきたということである(笑)。「輝き」の実態は何だろうか、光ることだろうか、艶だろうか。このようなことは、人間についても同様に言えるのだろうか。年齢より若々しく見せたがる人が多い。私たちは「若い」ということを尊び、「老い」を悪と見なす西洋的な価値観に染まってしまっているのだろうか。

幸せを感じるための能力

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幸せを感じるための能力

静かな新年を迎え、平穏な日々のスタートができたことはありがたい。そのようなまわりへの感謝と関連する「幸せになるための能力」についてまた語りたい。感謝を他者に強要するつもりはなく、それはできないと思う。「感謝しなさい」だとお説教で、耳から抜けるだけ。帰る家がある、空腹になったら食料が冷蔵庫に入ってる、寒い日に暖かいお風呂に入れること等々、私自身もかつては当たり前だと思っていて感謝しなかった。それらを「感じとる能力」がないと幸せになれないのではないか。誰にでも平等に与えられていることがある。例えば、誰にも一日24時間の時間が与えられている。その他にも空気を吸える、暖かい日差しを浴びることなどの自然からの恵みがある。そのようなまわりのいろいろなものごとに感謝できる人は幸せになれると思う 。それが私たちの日常の多くの割合を占めているのだから。一方、そんなのは当たり前で他に何かあるはずと探している人には、幸せはめったに訪れないのではないか。相手に感謝すること、これは「本人が気づく必要のある能力」であるということ、それを親は子に教えなくてはならない、もしそれができないと、子育ては失敗ではないかと思う。私は失敗したケースである。私の親にとっても私という子どもは失敗だったろう(笑)。それにやっと気づいたのが、死後だったから。

C世代

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C世代

日経は、C世代を今年のキーワードにしたいように見受けられる。昨日の日本経済新聞の「C世代を駆ける」の特集記事にC世代の特徴があった。それによると、CはComputer, Connected, Community, Change, Create などを意味する。人によっては、Content , Communication, Collaboration, Contribute, Casual の意味を込めて使うという。オープンでフラットな関係を好み、コンテンツを発信し、情報を共有し、政治や企業に透明性を求めるという属性は共通している世代のことをいう。基本的には若者をさすというが、年齢は限定しないという。それならば私はまさにC世代だ。こいつは朝から大変気分が良い(笑)。

では旧世代(Non-C世代という意味で使う)は、これらの価値に反対か?というと、必ずしもそうでもないだろう。ひとつひとつのCは、旧世代においても支持されるものと思う。ここでのポイントは、それらのCがAND条件にて支持されるかどうかではないか。私の思うに、ひとつでも欠けると旧世代なのではないか、例えばコンピュータを使っていてもCreateしないとか、たとえCreateしていてもChangeに関しては拒否するとかの人たちが、年代に関わらずたくさんいそうである。生粋のC世代は、やはり少数派だと思う。

カーネーション

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カーネーション

NHK朝ドラのカーネーションの主題歌を椎名林檎が歌っている。
謎の女だと思っていたので外見は知らなかったが、昨年末のNHK紅白歌合戦に登場した。彼女は、この手の番組には出席しない強烈な個性を持った人かなと想像していた。意外だったことに、決してそうではなく、普通そのへんで見かける女性のような印象を受けた。年明けに再開した朝ドラの主題歌を聞くと親しみがわくようになった。やはり実像を見るということは大きな価値がある。
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それはさておき、かつてNHK紅白歌合戦への出場拒否をしていた世代の歌手も、この数年出場するようになってきている気がする。紅白歌合戦を視聴することを否定していた世代が、自らが親の年代になったら、それに一目おくようになったというのは皮肉なものだ。視聴率も40%近く今でもある。親年代になると、最新の若者が歌が理解できないことが多いだろう。紅白歌合戦は、要領よく若者の好む音楽文化がわかるのではないかと思ってみるのかもしれない(実際は、それで理解できるかはわからないが)。今の若者世代も、いずれ紅白歌合戦を見るようになるのだろうか。確かにことは、家族一同がこたつを介して共通のテレビにて見るということはなさそうな気がする。

ブログ三昧

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ブログ三昧

正月にネットで具体的に何をしていたかというと、ちきりんさんという著名社会派ブロガーのプログを中心に見て過ごした。
私のライフログ的ブログとは志向は異なるが、これが本流のブログの使い方であろうと思った。

その書かれている内容や、トピックスの切り出し方などに関しても大変参考になった。探せば優秀な人材はいるということがわかり、大収穫だった。今まで、日本の未来に不安を感じていたが、日本はまだ健在なり。ちきりんさんの年代の人たちに未来を託せられると思った。ちきりんさんは、紛れもなく変革をリードしうる一人だと信ずる。

そのちきりんさんのブログをベースにした本があるという。入手して来期のゼミのテキストに使おう。このようにダイナミックに(気まぐれに?)扱う内容の入れ替えができるのが大学教師のゼミの良いところだ( 但し、あくまで教員の専門担当分野のコンテクストに沿うということは必要になるが)。

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