選択肢の多すぎる時代

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選択肢の多すぎる時代

エアコンの温度設定をいくらにすべきかは、自分自身で何らかの判断基準がないと決めるのは難しいかもしれない。また、あなたの好きなどこに住んでも良いのだよ、どんな職業に就いても良いよ、どんなパートナーを選んでも良いよと、ほぼ無限の選択肢を与えられると、困惑するのが私たちだ。私の場合では、多少の何らかの制約はあるのは歓迎だが、いくつかの選択肢はぜひ欲しい。そして自分の判断基準でものごとを決め続けていきたい。

さて、私のゼミでの卒業論文は自分の好きな自由なテーマで良いとしている。しかし、それでは上記のような選択の苦手な学生には辛いようだ。選択肢は少ないほうが良い人もいるのは事実。さらに、一つだけ与えられた選択肢に対して、YesをいうかNoをいうだけで良い人も少なくない。自分は選べないから、自分の代わりにあなた選んでよと他人任せな人すらいるが、卒業したいかと問うと、これに関しては必ずYesである。

今は亡き人へ

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今は亡き人へ

Whitney Houstonが急死した。ご近所さんでも、急死された方がいて告別式にいってきた。昨年から、この手のことが多い。その種の式での数時間を他の方と一緒に故人を偲ぶのだが、馬の耳に念仏ではなく有意義な場であれば良いのにと思う。少なくとも私の時には、お別れ会的な場にしたい。

さて、実家への介護がえりの妻が、彼女の母親も父親も自己チューで困ると言われた。私も、自分の親がまだ生きていて、もし近くで生活していたとするならば、「何という自己チューな!!」と親を強く非難していることだろう。しかし、亡き人となると、その自己チューも許せる。確かにそういう側面もあったが、そうでなかったこともある。すべては、ヒトのなせる業。水に流すことだ。これが、ご存命なうちはなかかできない。自分の親だと、また子どもだと、情が伴うからか、煩悩のせいかで、冷静な判断ができにくい。
・・と、経験したことのある人は、このように先輩面できる(笑)

「そんな」、「・・なんて」 という批判

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「そんな」、「・・なんて」 という批判

「そんなことしていないで!!」と親が子をたしなめる。上司が部下に、「そんなことやったって無駄だ!」ということもある。この言葉の意味するものは相手の行動への批判である。「そんなこと」のあとは、ほぼ否定形が続く。そういう人にとっては、くだらないことなのだろう。「そんな」優先順位の低いことをしていないで、本来のやるべきことがあるだろうということを暗に言っている。

「英語なんて、どうせ社会でつかわない」とか、「数学なんか役に立たない」とかいう、「・・なんて」「・・なんか」も同様だ。これらはその指し示す人やことを否定しているのだ。立場の強い人からの上から目線であることも多いだろう。そのような言葉遣いの中に、そういう人の価値観が潜んでいる。指摘されるご本人は、よかれと思ってやっているのだ。それを「そんな」「なんて」言葉でそのご本人の行動を否定する。これが争いの現況、すなわち人間関係悪化の一要因となる。互いの優先順位が異なっているからともいえる。理を持って、それが一致すればよいのだが。理では通じない感情や感覚だとさらに難しいだろう。

必ずしも明確なことばづかいをしなくても、前後関係やニュアンスでわかることもある。それは例えば昨日のブログからもわかる。私はネコや犬をあまり好きではない。ペット好き人からは、私のネコに対する冷たさを敏感に感じただろう。植物に対する慈しみはあるが、ネコに対しては別というのが出でいるから。

春の息吹

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春の息吹

昨日の気温はともかく、陽の射しているところは暖かかった。陽射しの暖かくなる朝の9時過ぎに鶯が鳴いていて春らしい気分になる。庭の草木を見ても、想定外の数カ所から芽がでいるのを発見! 嬉しかった。よく見ると、ドドナエアもミッキーマウスの木も、芽が生えてきていて出番を待ちわびているようだ。その庭いじりをしている時に、近所の野良猫らしきものもキャーキャー発情期によくある叫びのようなうめき声を出していた。やはりそうかと思った。植物に快適で暖かくなるこの季節は、人間にも、そしてネコも、虫にとっても良い季節なのだと。

学生の成長を見られることの喜び

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学生の成長を見られることの喜び

昨日に1年生を中心とするある体験学習の発表会を聞く機会があった。素晴らしかった。この間に学生が自分なりに学び、その成長を見られたことは大変喜ばしい。私も教師としてできることをしてあげなくてはと強く思い直した。
一方、状況も局面も難易度が異なり、比較できにくいものだが、この一週間前に実施した4年の卒論発表会では、そのようには思わなかった。応援しようという気にも全くなれなかった。私自身の思い入れの差異かというと、そんなことはないと思う。この違いをもたらすものは何だろうか。教育の失敗ではないか、その可能性は残されているかもしれない。

陽射しが暖かくなっている

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陽射しが暖かくなっている

昨日は私の家の近辺はとても暖かかった。二階和室は23度あった。
気象庁の天気予報は、このところ守りのモードになっているのではないかとすら思う。暖かくなるという予報でも、結果として寒い日が続いていた。クレーム対策のためではないかと邪推するのだが、昨日も寒いといっていた。しかし、予想外れて暖かかった。陽射しも5%くらい多かった。5%アップの根拠は、太陽光の単位時間発電量である。太陽光の日射時間は気象庁データでわかる。その値を、その日の実際の発電量で割って計算をすれば良い。陽射しが日に日に強くなっているのは、なんとなく体感でもわかる。

しかし春を探しているが、まだ見つからない。一月までもったブルーンバーゴも若芽が何度も育ったのだけれど、あと少しもたず全滅して、大変に残念である。外庭の寒さには、きつそうで、ミッキーマウスの木なども心配である。そのような中で、シュガーパインの緑が若々しくなってきている。何とかもってほしいのはペチュニア。あと数週間もてば、冬越しができそうだ。芽はまだ見つからないが、もうすぐ見つかるとしたら、その時は、きっと嬉しいに違いない。草木のための暖かい春をこんなにも待ち望んでいるのは、今までになかったことだ。植物はそのよう人のに気持ちまで優しくさせるものだと感じている。

単身生活

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単身生活

妻が実家に親の介護で一週間くらい帰っている。今の私ではさほど困っていないのだが、そのようなときは生活が乱れがちになる人も多いかもしれない。
但し、誰も見ていないと、いい加減になりがちなのはある。食生活は一人だと、まず作ることはない。仕事を終え、七時頃に空腹のまま帰宅して、それから料理を作る気分にはなれない。いつも暖めれば良い程度の手軽なものになる。そのためのストックはしてある。ただし、このような食生活では、長期的にはバランスが悪くなり、問題も発生しやすくなるとは思う。
その他では、洗濯ものを数日ためて洗濯するのと、買い出しをせずに冷蔵庫の中身をクリーン化する程度が違いだろうか。出かける時も、家の中をきれいにして出かける。いつ何時、何が起こっても良いようにだ。脱ぎっぱなしの服や、使用済みの食器が乱れているなどの生活臭の残りすぎは、残された人にとってはがっかりだろうから。仕事があるうちは良いだろうが、リタイアしていてこの状態だと辛いだろうなとも思う。仕事があるのはありがたい。

日向日陰10度温度差仮説

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日向日陰10度温度差仮説

今回もMiketoy仮説である。あまりたいしたものではなく、皆が常識的に知っているであろうことを明確にしただけである。冬でも陽射しのあるところは暖かいので、暖かい場に移動するのは誰しも経験するところだ。日向と日陰で明らかな温度差があるからだ。それは、どのくらいだろうか。気象庁の測定ポイント標準は、地上から1.5Mの百葉箱で外気である。だから日陰モデルなので、夏は涼しく出るし、冬は場合によっては高めに出る。それは日向日陰モデルとして次のように説明できないか(ただし、外気温度に関してだけである)。

冬の外気温は、気象庁の天気予報の温度を参考に、日が射している場所の温度には、(わかりやすく)10度を加える。それが日向の温度だ。日陰や雨曇り時は、その予報温度のままを採用する。例えば、予報の温度が8度だとする。晴れている外気の日陰は8度であり、日があたっているところは8+10=18度となる。足もとは2度くらい引いた値、この場合は6度である。これなら直感的にあうのではないか。
夏の予報温度は30度といわれるときに、直接日差しの当たるところは、30+10=40度で、日陰に関しては30度だ。テレビなどで実況する「私の手元の温度計で42度!!」というのは、外気・日向なので10度程度足された温度になっているのではないだろうか。

ただし、冬で一日中気温のほとんどあがらない日は、朝より昼は気温が高いにも関わらず、寒く感じることがしばしばある。これに関しては、温度だけでは説明できない。

暖かい部屋

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暖かい部屋

我家の2階の和室は夕方まで陽射しが入った場合はポカポカしている。二重窓もしているので保温性が高く、夕方から寝る時まで15度くらいはある。だから、この部屋は、エアコンをしないで過ごし得る空間である。
居室と人の移動する可能性のある、トイレや居間、洗面所、その通路などとの温度差は少ない方が望ましい。しかし、以前にも記したように、全館暖房のように、出向かないところまでエネルギーを使用して暖かくする必要があろうかということに私は疑問を持っている。何人も家人が分散しているのなら理解できないこともないが、一人だけいる時にまで、そうしたくはない。

ところで、職場で数日前に私の部屋で会議をした。私は通常は南側の窓際のデスクにいて、エアコンなしの自然の暖かさのままで作業をしている。ドア付近は陰で寒いので、エアコンはもしもの来訪者のために18度で設定している。そのときの会議のために最初に入ってきた人が、この部屋は寒いねといっていた。そちらでは何度にしているか聞いたら、25度にしているという。また別の人が入ってきて寒いといった。やはり18度に設定する私の寒さ感度はおかしいのだろうか。それとも彼らがゆるいのか。いずれにせよ、少しがっかりな気分だった。

ガス会社の攻勢

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ガス会社の攻勢

私が家を建てた数年前は、電気会社が「スイッチを」とオール電化の攻勢を強気でかけていた。鈴木京香が「昔の人はお湯をわかすのに火を使っていたのよ」というインパクトのあるCMをしていた。いずれ「火」を見ない時代になるのかと思ってショックだった。

今は、原発の問題などで電気へは風向きは良くない。電気代も値上げせざるを得ない状勢にある。一方、ガス会社はこの機に、経費削減効果もあり値下げをするという。新規に家を建てる人などは、今後はガスも増えることだろう。エネファームなど、蓄電池と関連した方法は、もしかしたら電気の弱点を補完するかもしれないものだ。私も投資に値するものかを調べているのだが、もう少し見極めは必要だと思う。今後のエネルギー業界での切磋琢磨を期待したい。私は長期的には、やはり電気ではないかと予測はしているものの、今後どう展開するかはわからないので、楽しみである。

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