Sep 30
愛されないこと
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愛されないこと |
私は昔から、他者から愛されていないと感じることが多かった。今も癒せているかどうかはわからないが、そのための心の傷がある。私は、親となってみると、それなりに親から愛されていたとは想像するのだが、少なくとも当時はそうは感じられなかった。私が可愛いげのない子だったからと思う。しかし、一部の先生は(部分的に、子供目線で見ると)愛してくれたような気がする。それは、役割としてかもしれないし、お勉強ができたからかもしれない。
そのような機能を果たしているときだけ愛するという条件付き「愛」は本当の愛とはいえないのかもしれない。機能を果たしているときだけ・・と限定されるのならば、ゲマインシャッフトへの道は遠い。
今も、「私は周辺の人から大切にされていない」と感じることがしばしばである。
自分の子供達からも、大切な人とは思われていない気がするし、妻からも大切に扱われていないと感じることが時々ある。職場ではどうか。同僚達とは、次元が違うので問題外である。子弟関係でも同様である。学生は私のことを、そして私の大切にしている授業という場を、大切にしてくれない人が圧倒的に多い。
自分の子供達からも、大切な人とは思われていない気がするし、妻からも大切に扱われていないと感じることが時々ある。職場ではどうか。同僚達とは、次元が違うので問題外である。子弟関係でも同様である。学生は私のことを、そして私の大切にしている授業という場を、大切にしてくれない人が圧倒的に多い。
では誰から愛されているか?少なくとも自分自身からは愛されていると思う。それは自分自身の役割を遂行しているから。でも、これができなくなったらわからない。自分で自分のもことをコントロールできなくなったら、私は自分自身を存在価値のない人間としてしまうかもしれない。そうなったら、生きている価値がなくなると感じてまうだろう。
そのような機能を果たしているときだけ愛するという条件付き「愛」は本当の愛とはいえないのかもしれない。機能を果たしているときだけ・・と限定されるのならば、ゲマインシャッフトへの道は遠い。
