Sep 27
自分と相手とどちらが評価するか?
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自分と相手とどちらが評価するか? |
昨日のブログの続きである。
私はアドラー心理学の考え方をに共鳴して、その線を基本に生きているつもりである。でも、アルフレッド・アドラーに盲信しているわけではない。「本当にそうか?」と思う箇所もなくはないものの、全体的にかなり良い線を行っている合格水準の考え方だと思う。こんなことを言う私は、決して相手(アドラー派の人たち)に合格を出せるような上から目線の立場にいるわけではない。逆に本当に理解しているかを、その種の人たちからなる協会などから試験され、合格しなくはならない修行の身でもある。 少し視点は変わるが、その合格水準をクリアすることについて。別に試験を受けているわけでもないのだが、もし免許皆伝で合格させていただくとしても100点満点ということはないだろう。世の中でこの種の認定では、みな似たようなものと思うが、8割理解していれば、合格のレベルと思う。だから、私が先に述べたように「本当にそうか?」などと生意気なことは言えるほどわかってはいない可能性は十分ある。頭でわかるのと、実践できるのとの間には、大きな溝があるからだ。頭でしかわかっていない中途半端な断片的な理解だからこそ、クリアに世界を見通せないで、不平不満を言っている可能性を感ずる。
例えば私に求められていた報告書が80点ということは、2割は誤りや不十分なところがあるということだ。2割も誤りのある会社の決算報告書を世の中に出して、合格水準だから良いでしょうなんて決して言えないし、教師の言うことに1割でも嘘があることは許されないだろう。プロたる社会人であるならば、100%を目指さなくてはならない世界なのだと思う。
しかし、これらは「不完全を受け入れる勇気」とは、必ずしも矛盾するわけではないのだ。
