ものごとの決め方・・最後は市場が決める

昨日4月29日付の日本経済新聞に、「会議が多すぎはしまいか」との元東京大学総長の蓮實重彦氏の意見が出ていた。その主張の内容とは若干ずれるが、そこでは「解決すべき問題が生じると、ほとんどの組織は、ほぼ例外なしに、特別な委員会を設置して審議を付託する。数ヶ月、ときには数年をかけたその審議が・・」と書かれていた。へぇーつ!、そんなことしているのかと驚いた。専門家の意見としての「その審議が答申案としてまとまると、その委員会を設置した会議で改めて検討することになる」。さらに、「どこの組織も、ほとんど機械的に「特別委員会」を設置してしまった」と蓮實氏は述べている。

また、会議で決まったのだからと思考停止することにも、蓮實氏は疑問を投げかけていた。その趣旨は考え続けないさいということだろうが、一度決まった議論を、正統な理由もなく従わないのはもっとまずい(意見があるなら、その場で主張すべきである)。その会議に不在であった人が、そういうこと蒸し返しをすることもある。時間泥棒であるとともに、周りの人たちのモラルを一挙に下げることになる。それよりも、不思議に思うのは、なぜ解決すべき問題が生じた時に、関係者を招集して解決に向けた議論をすぐにしないのだうか。おそらく、関係担当者はこの件は明るくないので、専門家の意見を聞いて・・というようなことなのだろう。

政府や役所での特別委員会とは、時々聞く言葉だが、そうしているのだとしたら、無責任体制であり困ったことだ。確かに専門家の意見は、拝聴に値するのだが、民間企業では、そんな悠長なことをしていることはあり得ない。いろいろな複雑なものごとが世の中にはあるが、話し合いでなかなか決まらないことがある。最後はどうするか。それは多数決で決めるということになると思う。 多数決に反対する人は、他の選択肢はあるのだろうか。とことん全員一致まで話し合うと主張するかもしれない。しかし、それは時間の無駄であると思う。特別委員会の答申が、本当に全員に納得できるものなのかも怪しいこともある。妥協の産物かもしれない。人はそこまで話し合いにて、理解し合えないのではないかと思うからだ。日々変化する多様な現実への迅速な対応こそ求められる。最適解は追求されるべきだが、震災対応のような時は、相手の満足いく解を迅速に提供することが必要なのではないか。私は、この記事を読んで、あらためてこの種のことは民間に任せたほうが妥当との意を強くした。

選択をする必要ができ、何らかの解決案がでたとしたら、それをどう正当化するか。行く末の不透明なときに、最終判断は多数決や選挙にて決めていく。これは市場に任すということに等しい。市場主義の行き過ぎは時として問題になるが、決められた結果として今の私達の生活がある。私は基本的には支持している。時として十分な議論なく、いきなり多数決としてしまうこともあるのは反省しなくてはならないし、少数派を抹殺することは許されない。

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