卒業式に思う

From Evernote:

卒業式に思う

卒業式典にまつわる話。私の勤務先では、国歌斉唱などはないので、愛国主義的大学ではないのだろうと想像する。
公立学校では、君が代斉唱で、起立して唱わないと処罰するとかで、大人げないなと思う。教師のほうも、そんなところで抵抗しないで、もっと本質的な教育分野で違いを出して欲しいと思うくらいで、私にとっては、あまり重要なことではない。でも抵抗する人にとっては、信念に基づく大問題なのかもしれない。

学生にとっての卒業式はどうか。11時開式だったが、遅刻してくる学生も多かった。出席すると言っていた私のゼミの学生の一人は欠席だった。式では見かけなかったので、卒業論文、卒業証書と卒業証明書を預かっているからとメールをしてみると、その日は研修だったので来れなかったと、後に返信が来た。

少し観点が変わるが、子弟あるいは親子の関係は、ビジネスの関係ではない。だから、失敗への許容度は、一度ならずと関係の続いている間はずっと維持される。企業などをはじめとする社会にさらされると別である。その企業が家庭的な風土をもっていれば、何度かは成長の過程として許されるだろう。また、典型的な外資系企業的な短期的成果を求めるビジネスライクな関係では、そうはいかないかもしれない。

さて話を戻して、私の学生時代は卒業式を出ないと卒業できないのではという恐怖感をもって出席した。でも、それは関係ないただの儀式なのだと後になって知った。入学式も同様だ。形式だけの式典なのだが、学生の意識に対しては、やっぱりなぁと思う。

About