学校への期待

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学校への期待

昨日は私の勤務先での卒業式であった。私は教育で飯を食っているにも関わらず、「学校ってたいしたことができない」のではないかと思っている。そんなことを言うとネガティブ思考だとか言われることがあるが、私はそうではないと思う。自分の組織を守る、その価値が正しいかどうかまともな議論をせずに、盲目的に何かにしがみつく方がよほどネガティブだと思う。自分たちの存在価値がなければ、それは発展的に解消して、新たな本当に価値のあるところに向かうほうが、より社会的にも建設的だと思う。

教育力の低下に関する現状認識に関しては、3つの観点から言及されることが多い。
「家庭での教育力」の低下は明らかであろう。(小中を想定しているが)親が子どもの面倒を見ない場合は、決して少なくない。一方で、良い学校といわれているところに入らせることに躍起になっている親との両極端である(後者においても、自分自身が熱心かは定かではない)。
「地域の教育力」も低下している。コミュニティスクールとかいっているが、あまり活発とは思えない。昔のような地域力を戻すのはかなり厳しい。子どもの教育の時期に至っていない、あるいは過ぎてしまった関心の薄い地域住民が深い関心を寄せるはずがない(私もリタイアしたら、その意識になると思う)。義務的に役割を全うしようとする役所や、子どもと直接に関係していない周りの意識の薄い人たちがいくら多く集まっても、たいしたことはできないのではないか。
「学校の教育力」はどうか。私は、総合的に見てかつてと比べるとはるかに進歩していると思う。教育システムや教材に関して素晴らしく良くなったと思う(昔の教材は上から目線で、酷いものだった)。現場の教師も熱心にやっている。(何をもって力量というのかを含めて)教師の力量に関しては、良くわからない。
ただ、家庭の教育力や地域の教育力不足を学校が担うとしたら、それはあまりに非力ではないかということを言いたい。学校関係者は、学校に期待されているのだから、それに応えなければならないという。現場には、ぜひ頑張ってほしいが、自らの限界をわきまえないと、現場の教師が消耗するだけで結果はついてこないのではないか。私の意見としては、前2つの家庭と地域の教育力に関しては悲観的だが、3番めの学校、少なくとも小中学校の現場教師は頑張っているようだし、今の程度で十分ではないか。いずれ、人々の集合意思の向かうようになるだろう。総じて言えば良い時代になっていると言えるのではないかと思う(このあたりは、人によって見解の大幅な相違があるようだ)。

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