分類されること

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分類されること

小泉純一郎元首相、橋下徹大阪市長、経済学者の野口悠紀雄、プロガーのちきりんは、リバタリアンと言われる。Miketoyも同様なリバタリアンと分類されるとしたら、(彼らもそうだと思うのだが)そこにアイデンティを持っていない限り、嬉しくはない。もちろん、第三者が彼らを理解する枠組みとしての分類ならば勝手にしてもらって良い。しかし、私個人としては後づけのそのような概念を全面的にサポートしているわけではないし、本末転倒ではないかとすら反発する。分類によって強引にそこに押込められてまとめらてしまうと、自分が小さな人間になってしまったようで、気分を害するからだ(実際に小さいのだが・・笑)。

リバタリアンの特質として、「個人の自由」と「経済の自由」の2つの両軸ともに強く賛同するのが特徴とされていた。個人の自由の尊重に関しては、私は賛成ではある。しかし今までも述べてきているように、自由の尊重を尊ばない人もいると思う。それは、それで良い(個人の自由である)。
経済の自由、こちらは良くわからない。私は、経済の自由は反対ではないものの、軸にしなくても良いような気がする。経済の自由は、どちらかというと賛成だが、競争的社会に対して賛同できない点も少なくない。ともかく、決めつけられると自由が束縛されるので嫌なのだ。

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