私の教師の原点としての志

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私の教師の原点としての志

大学教師になって11年になる。私の教師に至る前の原点として、「強い個人」を教育したいという願いがあった。志の有無に関わらず、各教師は何らかの原点を持つものの、それは必ずしも明らかにされていないのではないか。私自身も今まで、学生に直接的にその原点らしきものを伝えたことはなかったなと思う。

現役世代の勤め人は、既得権益や諸々の制約に縛られ、また古い教育故の発想に限界があり、辟易していた。若者を育てられれば、事情は変わる。彼らが新たなパラダイムである「ネットワーク的な仕事の仕方」を学び、実践すれば、世界は変わり得ると思った。変革のためには、新しい感覚を持った自立した個人が不可欠と思っていた。(慶応大学SFCでは、それらしいこともしていた)

新たなパラダイム、新たな世界とは何か。それは、密室でものごとが決まる、あるいは理に叶っていない世界の対極にある。理のある開かれた世界である。マクロにはその方向に変遷するとしても、現実的にはそう素早く変わっていかない。その具体的なイメージとしての代替案が示されない限り、現状のような社会が続くだろう。だから当面は、競争的社会に逆らわず、個人はしたたかに生きていかねばならない。私と関わる若者には、勝ち続けるとまでは行かなくても、少なくとも負けてしまったら生活できない、そうならないようにサバイバルしてほしい。そのための力を養ってもらいたいという思いで人を育てること、それが教師として転職した原点にあった。ある意味では、エリート教育志向であったのだろう。

そのような私の世界理解の枠組みは、競争社会を必要なもの、あるいは所与としているリバタリアンの考え方と一致することに気づかされた。しかし、誰もが他の人より優れて勝ち続けることは不可能だ。競争に負け続ける人もいる。競争の場に立てない人すらいる。その人たちをどうするかまでは、考慮外であったと思う。今でも、一部に多少の軌道修正はあるものの、私の当初の思いは未だ残り続けている。超一流の人にならなくても良いが、チャレンジしてこの世の大海原で、もがいて欲しい。そのあとまでの保証は必ずしもない。縮み思考の若年寄が結構いるのだが、私の思いとしては、大学を卒業する22歳頃から、守り一辺倒のモードに入って欲しくない。自分で自分の行く末を切り開いていって生き続けて欲しいものだと思っている。

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