Feb 21
学習の構えとしての「ハビトゥス」
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学習の構えとしての「ハビトゥス」 |
各自の持つ知識が格差の分岐点ではないかと仮説を述べた(これも、公正な社会を形作るための一側面でしかない)。その知識を獲得するための問題はいくつもある。学習の構え(ハビトゥスという)が育たず、悪しき習慣が身についてしまっていると、知識の獲得、すなわち学びが進みにくいので大変である。言葉を変えれば、成長がなく、思考停止のままの状態が続いてしまう。
親や家庭教師のようなコーチが、その困難に直面したときにいて、手を差し伸べてくれれば幸運である。ただし、何とかその場を理解できたとしても、また同じようなことの発生時に、誰かそばについているだろうか。運よく誰かがサポートしてくれれば、学びは進むかもしれない。しかし、(依存しうる)誰も見守ってくれていないと、知識獲得を放棄するのではないだろうか。そのような人には、(自立しうるまで)期を待つしかないと思う。相手は、その準備ができていないのだから。準備ができるときがくるかの保証はない。事を急ぎすぎることはないと思う。
教えようとする側にてできることは、情報を相手の理解できるように提供することだろう。とはいえ、このレベルですら達成できているかは大変に怪しいが。その上で相手の判断を仰ぐ。それでもだめなら機を待つしかたないというのが私の結論である。そういうと、強いものの論理だとか、現実の社会格差をMiketoyは認め、その是正のための努力をあまりしないのだねとの批判はあると思う。私はそれは、ご本人の課題であり、それ以上のお節介はどんな他者にもできないのではと思う。
