Posterous 最終投稿

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Posterous 最終投稿

私は自宅で授業の準備をしないようになった。毎回、毎年ほぼ同じようにやれば、努力は少なくて済むし、何とかなるからである。この1,2年間は、ほとんど何も追加の準備をしていないし、授業のための資料や教科書を自宅に持ち帰ることもしない。授業のある日は、授業の20-30分前には来て、その間は集中し、過去の蓄積を呼び起すだけである。それを思うと、勤務したての初期の頃は勤勉だったなと我ながら感慨深く思う(笑)。
また、年輩の先生に対して、多くの人は厳しいことは言えないし、実際言わない。定年近くなった人々の目が甘くなることに注目したい。私自身もそうであるが、その逆の立場になれば良い。この見通しの良い位置にいることに感謝をして、第二テスージを終焉し、次のステップに進む準備をする、それが今年追加したのアクション項目のひとつである。

今後は下記住所にてブログを継続する。ものごとの見方を含めたパーソナルなことについては新たなブログでは控える。テーマは「ロハスなライフスタイル」と新たなチャレンジである「リタイア後の生活を目指した日々の活動」を記すことにした。http://miketoy.hatenablog.com/

引越後も、もしよろしければ継続してご覧下さい。これにてPosterousの最終投稿といたします。

Posterous ブログ開始から一周年

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Posterous ブログ開始から一周年

1年前からブログを書き始めた。今日でちょうど一年経ち、約365のライフログがたまった。本日をもって一区切りとして、ブログの引越をすることにした。世間の目にさらされることは、こちらのブログが見られることは今後さらに少なくなると思うが、2011年から2012年の私のライフログとしての貴重な保存版である。もし、よろしければ書き始めた1年前の最初からお読みください(http://miketoy.posterous.com/?page=38)。漢字の誤変換や意味不明な文も残っているが、ブログ開始の原点は重要だと思う。Posterousは古いエントリー記事が取り出しにくいものの、1ページ約10エントリーで 10 x 38 = 約380記事。今から思うと、書き初めの頃の方が、ブログの中身は濃かったように思う(笑)。

ブログを大学の授業で使う新たな試み

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ブログを大学の授業で使う新たな試み

ちきりん著の「自分のアタマで考えよう」を私のゼミでの指定テキストとしている。本格的な開始は今週からだが、私のこのブログの記事も場合によっては使おうかとも思っている。ブログは貴重な情報資産としての財産である。多少中身のあるものについてディスカッションさせる。それならば、テキストを忘れたと言い訳する学生も許せる(ただし、それで本当に良いのかは疑問が残る)。

中流社会の崩壊とも言われるが、昨日の日本経済新聞に掲載されていた自分の階層サーベイが出ていた。それによると、貧困層の16%、これはこれで問題だが、中間層を中の上、中の中、中の下をあわせて中流とすれば、8割はその中に入り、相変わらず日本は中流意識の社会だ。人は、それなりの幸せがある。私の幸せ感は、彼らとは異なるのだろうという感が強くなっている。学習・勉強などをしなくても幸せな人は少なくないのだろう。私の幸せに対する価値観を他者にに押しつけることはできない。唯一の可能性は、適切な言葉をかければ、通じるということだ。私は、Greeで友人限定でMiketoyブログを書き始めて6年、未だその「適切な言葉」がわかっていない未熟者である。この分野で、達成成果は獲得できなかったけれど、その分野のプロになろうとは思わないので、しかたない。もう、これで良しとすることにした。

何が言いたいかというと、限られた時間資源を有効に使おうということである。今回を最後に、今後は教育の領域のことをブログで書くことはないと思う。

あしたのこと、何十年か先のこと

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あしたのこと、何十年か先のこと

前に勤務していた大学では、新入生向けののガイダンスの一環として、社会保険事務所の人を呼び、毎年、年金システムの説明をしてもらっていた。20才から国民年金支払義務が原則的には生ずるとはいえ、彼らにとって果てしない先の老後の実感はどうだろうか。その手の説教は、新入生のような働いてもいない就職もしていない段階では、いくら年金のことを熱く語られても、ピンと来ないだろう。だから、効果薄と思うし、もらえるものはもらっておこうという程度の単純な思考にしかならないだろう。若者を責めるというよりは、ガイダンスを企画する側が相手目線になれば当然理解できるようなことをしていないことこそ問題といえる。

若い人には、年金システムの詳細を知るよりも今やらねばならないことがある(その内容はその人の状況によって異なるだろう)。そちらに注力してもらいたいものだ。もちろん若い人でも他者を含めた老後のことに関心のない人はいないわけではない。その人たちは、キャパシティに十分余裕があるのか、あるいはお祖父や祖母たちと何らかの特別な体験があったためだろうと推察する。

大人でも、現在直面していることに手一杯で、将来は真っ白という人は結構多い。少し先を見通せば、今している行動が無駄になるならば、修正行動するほうが適当なこともある。明日のことすら見通せない人に、何十年先も先のことを考えてよといっても、馬の耳に念仏かも知れない。

次元の低いレベルのケンカ

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次元の低いレベルのケンカ

共同生活をしていると、部屋の掃除や風呂掃除とかゴミ出しとか共通する部分が多い。つまらないことで喧嘩になることがある。例えばゴミの出しかただ。妻は大ざっぱである。袋が何個になろうと、構わない(ゴミを出すのが私だからだろうか?)。私は同じパッケージは重ねて、量を減らしたい。そのほうが空間が無駄なく使えて、小さくてすむ。そのレベルだ。どうでも良いことと言えばどうでも良い、実に次元の低い話である(笑)。
自分がすることを相手に恩着せがましくするつもりはない。しかし、逆は私は大嫌いで、たいしたことでないにも関わらず、恩を売る態度はきにくわないとなる。例えばお風呂掃除、たまにされて恩着せがましくされる。今は家事は簡単なっているのは事実だ。とはいえ、専業主婦らくちん論の発言は慎重にしないと袋だたきにされるので、注意が必要だ(笑)。

通学・通勤不要

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通学・通勤不要

学ぶことに関しては、放送大学はテレビやラジオさえあれば学ぶことができ、基本的には通学不要である。  サイバー大学も通学不要とあった。教師よりの直接指導を受けるのならば入学しないといけない。また、学びの仲間作りもできない。それらはするために授業料は必要なのだろうが、全てではないにしろ代替できている部分は少なくない。

多少関連して、東京バブルの結果のひとつなのだが、首都圏での通勤通学所要時間は長らく異常な状態が続いている。昨今、テレワークなどの勤務形態も模索されているものの、片道一時間半以上の通勤時間がかかったとしても何ら不思議ではないだろう。私も何年もそうして耐えてきた。しかし、これは大いなる社会的損失ではなかろうか。そもそも、通勤通学が好きな人がいるのだろうか。高校生で、いつも同じ電車に乗る気になる女子高生や男子がいるというのでない限り(笑)。通学は気分転換にはなるが、途中で事故などのアクシデントが起こりうるし、快適なことは少ないだろう。大多数の人には、なくて済めばないほうが良いのではないか。

そんなの、誰でもわかっている。では、具体的にどうする。今の勤め先をやめるか、そしてすぐに別の魅力的な勤務先が見つかるかということになる。きれいごとだねというわけで、総論賛成、各論反対になり、簡単な解決策は見いだせない。でも、リタイアするとなると、通勤に関してもわがままは言える。

東京バブル

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東京バブル

東京でのサービスの物価は他地域と比べて異常に高いと思う。土地の値段も大きく影響しているのだろうが、それにしても高い。横並び意識による便乗値上げもあるのではないか(こんなことを言うと、それはそれなりの価値があるからだとの反論が聞こえてきそうだ)。
例えばホテルランチバイキングの相場は、2倍くらい高い(4/21/2012の日経プラス1記事 )。比べてみると大阪の超一流ホテルのそれは2500円近辺だが、東京地区では平均5000円だ。比較して、味に2倍の差は検証されないだろう。私は、リーズナブルの値段だけれど、一品一品が美味しいビュッフェスタイルの店は大好きだ。どうせなら、満足いくだけ食べたいと思う(笑)。
その高い東京値段が標準と思いこんでしまい、その感覚で地方に行くと、何でもかんでも安く見える。だから、大盤振る舞いをする。東京バブルは、いつの日にか確実にはじけると私は思っている。

電子新聞

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電子新聞

私の各種お得情報を知るのは新聞による情報である。日本経済新聞は読む記事が多いので好んで読む。ただし、出張の時は直前の準備などでゆっくりと読む時間がない時は、行きの電車で読む。その後は、荷物になるので新聞紙を廃棄する。ターミナル駅などでは、その読み捨て新聞をゴミ箱をひっくり返して探す人を良くみかけたものだが、最近でも時に見かける。朝の早いときは新聞の価値がまだあるので、私の読み終えたものに関しては、誰か読んでくれても良いのにと思う。ここでの価値は、情報なのであり、決して新聞紙が必要ではないのだから。私自身も、きれいに読んでもらっているのなら、中古の新聞でも全く問題はない。ただし定期的には来て欲しい。このような中古のマーケットは人々の「シェア」する価値観とも関連して成長すると思う。

数日の外出後に、その間の新聞をまとめて読むことは可能ならば避けたい。その点、ipad向けの新聞イメージの電子新聞は比較的大画面で一括できるので魅力的だ。ちらしがなくなるのは残念なので(ちらしまで電子で読みたいと思わない)問題は残るけれど。でも長期的には、私は紙による新聞をやめ、電子新聞に移行することになるのだろうと予感する。

新しいモノの取り入れ

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新しいモノの取り入れ

世の潮流になるものはフォローしていかないと、後々に息苦しくなるだろう。経済成長期に借金して家を建てることや、自家用自動車を買うことはそれである。抵抗していては、世の流れに遅れる。私の親は頑固で新しいものを取り入れないタイプの人だったので、車は持たなかったし、カセットテープレコーダーなどの機械ものは苦手だった。マイホームをもったのも遅かったほうだと思う。私も、車は環境破壊の道具、諸悪の根源だとかいって、抵抗していたこともあったが、バカらしくなってやめた。運転免許を取ったばかりの時に、車がとても欲しかったことを思い出す。
 
IT分野においても、世の潮流になりそうなものは追いついておく必要がある。具体的には、インターネットを使うこと、ケイタイを活用すること、パソコンで文章を作ることなどである。そこに手を出しておかないと、その後の新たな情報や知識は獲得しにくくなる。すると、ますます貧困な環境に陥ってしまう可能性が高い。そしてますます持つ人と持たない人との差が拡大する格差問題となるので考えものである。

心のすり減り

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心のすり減り

NHKの「梅ちゃん先生」を見て思う。最近の朝ドラの「ひまわり」、「カーネーション」もそうだが、戦時中の厳しい環境の時も重要なシーンが出ている。その頃に、趣味がガーデニングなどといったら、まわりから袋だたきにされたろう。やはり、花を愛でることは余裕のある人の遊びでしかないのかもしれない。英国園芸研究家の吉谷桂子さんによると、現代の忙しい生活のままでは心がすりへってしまうというような言葉を使っていた。
私達は物質的には豊かになっているのは確かなのだが、精神的も戦時中のまま継続している構えである人は今日でも少なくはないのだろう。

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